抱朴子外篇 / 正郭
其所惡則摧頓陸沈,士人不齒。□其名賢,遭亂隱遁,含光匿景,未為遠矣。君子行道,以匡君也,以正俗也,於時君不可匡,俗不可正,林宗周旋,清談閭閻,無救於世道之陵遲,無解於夭民之憔悴也。』又故中書郎周生恭遠,英偉名儒也,亦曰:『夫遇治而贊之,則謂之樂道;遭亂而救之,則謂之憂道;亂不可救而避之,則謂之守道。虞舜樂道者也,仲尼憂道者也,微子守道者也。漢世將傾,世務交遊,林宗法當慨然虛心,要同契君子,共矯而正之,而身棲棲為之雄伯,非救世之宜也。於時雖諸黃門,六畜自寓耳。其陳蕃竇武之徒,雖鼎司牧伯,皆貴重林宗,信其言論,臧否取定,於匡危易俗,不亦可冀乎?而林宗既不能薦有為之士,立毫毛之益,而逋逃不仕者,則方之巢許;
新字:其所悪則摧頓陸沈,士人不歯。□其名賢,遭乱隠遁,含光匿景,未為遠矣。君子行道,以匡君也,以正俗也,於時君不可匡,俗不可正,林宗周旋,清談閭閻,無救於世道之陵遅,無解於夭民之憔悴也。』又故中書郎周生恭遠,英偉名儒也,亦曰:『夫遇治而賛之,則謂之楽道;遭乱而救之,則謂之憂道;乱不可救而避之,則謂之守道。虞舜楽道者也,仲尼憂道者也,微子守道者也。漢世将傾,世務交遊,林宗法当慨然虚心,要同契君子,共矯而正之,而身棲棲為之雄伯,非救世之宜也。於時雖諸黄門,六畜自寓耳。其陳蕃竇武之徒,雖鼎司牧伯,皆貴重林宗,信其言論,臧否取定,於匡危易俗,不亦可冀乎?而林宗既不能薦有為之士,立毫毛之益,而逋逃不仕者,則方之巣許;
書き下し
其の悪む所は則ち摧頓陸沈し、士人歯せず。□其の名賢、乱に遭いて隠遁し、光を含み景を匿すは、未だ遠からずと為す。君子の道を行うや、以て君を匡し、以て俗を正すなり。時に君は匡す可からず、俗は正す可からず、林宗は周旋し、閭閻に清談するも、世道の陵遅を救う無く、夭民の憔悴を解く無きなり』と。又た故の中書郎周生恭遠、英偉の名儒なり、亦た曰く、『夫れ治に遇いて之を賛すれば、則ち道を楽しむと謂う。乱に遭いて之を救えば、則ち道を憂うと謂う。乱の救う可からずして之を避くれば、則ち道を守ると謂う。虞舜は道を楽しむ者なり、仲尼は道を憂うる者なり、微子は道を守る者なり。漢世将に傾かんとし、世務は交遊なり、林宗は法として当に慨然として心を虚しくし、同契の君子を要め、共に矯めて之を正すべきに、身は棲棲として之が雄伯と為るは、世を救うの宜しきに非ず。時に諸黄門ありと雖も、六畜自ら寓するのみ。其の陳蕃・竇武の徒は、鼎司牧伯と雖も、皆な林宗を貴重し、其の言論を信じ、臧否取定す。危を匡し俗を易うるに於いて、亦た冀う可からずや。而るに林宗は既に有為の士を薦め、毫毛の益を立つる能わず、而して逋逃して仕えざる者は、則ち之を巢許に方ぶ。
現代語訳
彼が憎んだ者は打ちひしがれて沈み、士人からも相手にされなかった。名のある賢者が、乱にあって隠遁し、光を内に含み影を隠したのは、まだ理にかなっている。君子が道を行うのは、君を正し、世俗を正すためである。当時、君は正すことができず、世俗も正すことができなかったのに、林宗は各地を巡り、巷で清談をしたが、世道の衰えを救うことなく、若死にする民のやつれを解くこともなかった』と。また元中書郎の周恭遠は、すぐれた名儒だが、これも言っている。『治まった世に遇ってそれを助けるのは道を楽しむといい、乱に遭ってそれを救うのは道を憂えるといい、乱が救えないとして避けるのは道を守るという。虞舜は道を楽しむ者、孔子は道を憂える者、微子は道を守る者である。漢の世がまさに傾こうとするとき、世の務めは交遊だった。林宗は、本来なら慨然として心を虚しくし、志を同じくする君子を求めて、共に矯めて正すべきだった。それなのに自分は慌ただしく動いてその頭領となるのは、世を救うのにふさわしいやり方ではない。当時は宦官たちがいたとはいえ、六畜が自ら住みついているようなものにすぎない。陳蕃・竇武らは、三公や州牧の地位にあっても、みな林宗を貴び、その言論を信じ、人物の良否の判断を取り決めた。危うさを正し、風俗を改めることに、期待してよいのではなかったか。それなのに林宗は、為すところのある士を推薦して、わずかな益を立てることもできなかった。そして逃げ隠れて仕えない者は、これを巣父・許由になぞらえる。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・應務・慎果の二字、明哲の二字士君子大事に當たる時、人に先んじて任ずるは、當に慎果の二字を知るべし。人に從ひて行ふは、當に明哲の二字を知るべし。明哲は難を避くるに非ず。事に裨無くして只だ自ら沒するのみなればなり。
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『呻吟語』内篇・應務・卑は恭を學ばず、貧は儉を學ばず謙忍は皆な尊に居るの道なり。儉樸は皆な富に居るの道なり。故に曰く、卑は恭を學ばず、貧は儉を學ばずと。
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『墨子』非儒下民を存す。是に於いて其の禮を厚くし、其の封を留め、敬して見るも其の道を問わず。孔丘、乃ち景公と晏子とに志怒し、乃ち鴟夷子を樹てて田常の門に及ぼし、南郭子に欲する所を為すを告げ、魯に歸る。頃有りて、齊の将に魯を伐たんとするを間き、子貢に告げて曰く、「賜や、大事を今の時に舉げん」と。乃ち子貢を齊に遣わし、南郭惠子に因りて以て田常に見え、之に吳を伐つを勸め、以て髙・國・鮑・晏を教え、田常の亂を害するを得ざらしめ、越に吳を伐つを勸む。三年の内、齊・吳、國を破るの難あり、伏尸は術數を以て言う。孔丘の誅なり。
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『学問のすゝめ』四編・学者の職分を論ず・利あらざるものは必ず害あり以上論ずるところを概すれば、今の世の学者、この国の独立を助けなさんとするに当たりて、政府の範囲に入り官にありて事をなすと、その範囲を脱して私立するとの利害得失を述べ、本論は私立に左袒したるものなり。すべて世の事物をくわしく論ずれば、利あらざるものは必ず害あり、得あらざるものは必ず失あり、利害得失相半ばするものはあるべからず。わが輩もとよりためにするところありて私立を主張するにあらず、ただ平生の所見を証してこれを論じたるのみ。世人もし確証を掲げてこの論説を排し、明らかに私立の不利を述ぶる者あらば、余輩は悦んでこれに従い、天下の害をなすことなかるべし。
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孟子・離婁章句下曾子、武城に居る。越の寇有り。或ひと曰く、「寇至る、盍ぞ諸を去らざるや。」曰く、「人を我が室に寓し、其の薪木を毀傷すること無かれ。」寇退けば、則ち曰く、「我が牆屋を修めよ。我將に反らんとす。」寇退き、曾子反る。左右曰く、「先生を待つこと、此の如く其れ忠にして且つ敬なり。寇至れば、則ち先づ去りて以て民の望みを為し、寇退けば則ち反る。不可なるに殆(ちかい)し。」沈猶行曰く、「是れ汝の知る所に非ざるなり。昔、沈猶、負芻の禍い有り。先生に従う者七十人、未だ與ること有らず。」子思、衛に居る。齊の寇有り。或ひと曰く、「寇至る。盍そ諸を去らざるや。」子思曰く、「如し伋去らば、君誰と與にか守らん。」孟子曰く、「曾子・子思は道を同じくす。曾子は師なり、父兄也なり。子思は臣なり、微なり。曾子・子思、地を易うれば則ち皆然り。」
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