抱朴子外篇 / 正郭
蓋欲立朝則世已大亂,欲潛伏則悶而不堪,或躍則畏禍害,確爾則非所安。彰徨不守,載肥載月瞿,而世人逐其華而莫研其實,玩其形而不究其神,故遭雨巾壞,猶復見效,不覺其短,皆是類也。俗民追聲,一至於是。故其雖有缺隟,莫之敢指也。夫林宗學涉知人,非無分也。然而未能避過實之名,而暗於自料也。或勸之以出仕進者,林宗對曰:『吾晝察人事,夜看乾象,天之所廢,不可支也。方今運在明夷之爻,值勿用之位,蓋盤桓潛居之時,非在天利見之會也。
新字:蓋欲立朝則世已大乱,欲潜伏則悶而不堪,或躍則畏禍害,確爾則非所安。彰徨不守,載肥載月瞿,而世人逐其華而莫研其実,玩其形而不究其神,故遭雨巾壊,猶復見効,不覚其短,皆是類也。俗民追声,一至於是。故其雖有欠隟,莫之敢指也。夫林宗学渉知人,非無分也。然而未能避過実之名,而暗於自料也。或勧之以出仕進者,林宗対曰:『吾昼察人事,夜看乾象,天之所廃,不可支也。方今運在明夷之爻,値勿用之位,蓋盤桓潜居之時,非在天利見之会也。
書き下し
蓋し朝に立たんと欲すれば則ち世は已に大いに乱れ、潜伏せんと欲すれば則ち悶えて堪えず。或いは躍れば則ち禍害を畏れ、確爾たれば則ち安んずる所に非ず。彷徨して守らず、載ち肥え載ち月瞿す。而して世人は其の華を逐いて其の実を研くこと莫く、其の形を玩びて其の神を究めず。故に雨に遭いて巾の壊るるも、猶お復た効わるるも、其の短を覚らざるは、皆な是の類なり。俗民の声を追うこと、一に是に至る。故に其れ缺隙有りと雖も、之を敢て指す莫し。夫れ林宗は学は知人に渉り、分無きに非ざるなり。然れども未だ過実の名を避くる能わず、自ら料るに暗きなり。或るひと之に出仕して進むを勧むれば、林宗は対えて曰く、『吾れ昼は人事を察し、夜は乾象を看る。天の廃する所は、支う可からず。方今、運は明夷の爻に在り、勿用の位に値う。蓋し盤桓して潜居するの時にして、天に在りて見るを利しとするの会に非ざるなり。
現代語訳
思うに、朝廷に立とうとすれば世はすでに大いに乱れており、身を潜めようとすれば悶々として耐えられない。飛躍すれば災いが恐ろしく、じっと動かなければ安んじられない。さまよって守るところがなく、(底本の一句は字が崩れ、意味が確定できない)。それなのに世の人はその華やかさを追って実質を究めず、外見を弄んでその精神を究めない。だから雨にあって頭巾が崩れたのまで真似される有様で、その欠点にも気づかないのは、みなこの類である。俗人が評判を追うのは、ここまで来る。だから欠点があっても、あえて指摘する者はいない。そもそも林宗は学問は人を見抜くことに及び、その分がなかったわけではない。しかし実質以上の名を避けることができず、自分を量ることに暗かった。ある人が彼に出仕を勧めたとき、林宗は答えて言った。『私は昼は人事を観察し、夜は天の象を見ている。天が見捨てるものは、支えることができない。いま運は明夷の爻にあり、勿用の位に当たる。ぐずぐずと潜み住むべき時で、天にあって現れるのを利とする時ではない。
解説
この章句が説くこと
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