抱朴子外篇 / 應嘲
或人又曰:「然吾子所著,彈斷風俗,言苦辭直,吾恐適足取憎在位,招擯於時,非所以揚聲發譽,見貴之道也。」抱樸子曰:「夫制器者珍於周急,而不以辨飾外形為善;立言者貴於助教,而不以偶俗集譽為高。若徒阿順諂諛,虛美隱惡,豈所匡失弼違,醒迷補過者乎?慮寡和而廢白雪之音,嫌難售而賤連城之價,余無取焉。非不能屬華艷以取悅,非不知抗直言之多吝,然不忍違情曲筆,錯濫真偽,欲令心口相契,顧不愧景,冀知音之在後也。否泰有命,通塞聽天,何必書行言用,榮及當年乎?
新字:或人又曰:「然吾子所著,弾断風俗,言苦辞直,吾恐適足取憎在位,招擯於時,非所以揚声発誉,見貴之道也。」抱樸子曰:「夫制器者珍於周急,而不以弁飾外形為善;立言者貴於助教,而不以偶俗集誉為高。若徒阿順諂諛,虚美隠悪,豈所匡失弼違,醒迷補過者乎?慮寡和而廃白雪之音,嫌難售而賤連城之価,余無取焉。非不能属華艶以取悦,非不知抗直言之多吝,然不忍違情曲筆,錯濫真偽,欲令心口相契,顧不愧景,冀知音之在後也。否泰有命,通塞聴天,何必書行言用,栄及当年乎?
書き下し
或る人又た曰く、「然れども吾子の著す所は、風俗を弾断し、言苦く辞直し。吾恐る、適に以て位に在る者に憎まれ、時に擯けられるを招くに足り、声を揚げ誉れを発し、貴ばるるの道に非ざるなり」と。抱朴子曰く、「夫れ器を制する者は周急を珍とし、辨飾外形を以て善と為さず。言を立つる者は教えを助くるを貴び、俗に偶い誉れを集むるを以て高しと為さず。若し徒だ阿順諂諛し、美を虚しくし悪を隠さば、豈に失を匡し違を弼け、迷いを醒まし過ちを補う者ならんや。寡和を慮りて白雪の音を廃し、售れ難きを嫌いて連城の価を賤しむ、余は取る無きなり。能く華艶を属して以て悦びを取らざるに非ず、直言を抗ぐるに吝多きを知らざるに非ず。然れども情に違い筆を曲げ、真偽を錯濫するに忍びず。心口をして相契し、顧みて景に愧じざらしめ、知音の後に在るを冀わんと欲す。否泰は命有り、通塞は天に聴す。何ぞ必ずしも書行われ言用いられて、栄は当年に及ばんや。
現代語訳
ある人がまた言った。「しかしあなたの著すものは、風俗を断じ、言は苦く辞は直だ。私が恐れるのは、これがちょうど位にある者に憎まれ、時に退けられるのを招くに足り、名声をあげ誉れを生み出し、貴ばれる道ではないことだ」と。抱朴子は言う。「器を作る者は急場の役に立つことを宝とし、外形の飾りを善しとしない。言を立てる者は教えを助けることを貴び、俗に合わせて誉れを集めることを高しとしない。もし、ただ阿り諂い、美を虚しく飾り悪を隠すだけなら、どうして過失を正し違いを助け、迷いを醒まし過ちを補う者といえようか。和する者が少ないのを憂えて白雪の曲を廃し、売れにくいのを嫌って連城の価を賤しむなど、私には取れない。華やかな文を綴って人を喜ばせることができないのではなく、直言を掲げれば多くの不利益があるのを知らないのでもない。しかし心に背き筆を曲げ、真偽をごちゃまぜにすることには耐えられない。心と口を契り合わせ、振り返って影に恥じないようにし、知音が後の世にいることを願いたい。否泰は命があり、通塞は天に任せる。どうして必ずしも書が行われ言が用いられて、栄えが当年に及ぶことを望もうか。
解説
この章句が説くこと
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史記 管晏列伝方に晏子、荘公の尸に伏して之に哭し、礼を成し然る後に去るは、豈に所謂「義を見て為さざるは勇無き」者か。其の諫説に至りては、君の顔を犯す。此れ所謂「進みては忠を尽くすを思ひ、退きては過ちを補ふを思ふ」者か。仮令ひ晏子をして在らしめば、余之が為に鞭を執ると雖も、忻慕する所なり。
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呂氏春秋・貴直①賢主の貴ぶ所は士に如くは莫し。士を貴ぶ所以は、其の直言の為なり。言直なれば則ち枉れる者見ゆ。人主の患いは、枉れるを聞かんと欲して直言を惡む。是れ其の源を障ぎて其の水を欲するなり。水奚に自りてか至らん。是れ其の欲する所を賤しみて、其の惡む所を貴ぶなり。欲する所奚に自りてか來たらん。
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史記 張丞相列伝周昌は、沛の人なり。其の従兄を周苛と曰ふ。秦の時皆泗水の卒史為り。高祖沛に起ち、泗水の守・監を撃破するに及び、是に於て周昌・周苛、卒史より沛公に従ふ。沛公、周昌を以て職志と為し、周苛を客と為す。従ひて関に入り、秦を破る。沛公立ちて漢王と為り、周苛を以て御史大夫と為し、周昌を中尉と為す。漢王の四年、楚、漢王を滎陽に囲むこと急なり。漢王遁れ出で去りて、周苛をして滎陽城を守らしむ。楚、滎陽城を破り、周苛をして将たらしめんと欲す。苛罵りて曰く、「若(なんぢ)趣(すみや)かに漢王に降れ。然らずんば、今に虜と為らん」と。項羽怒り、周苛を亨(に)る。是に於て乃ち周昌を拝して御史大夫と為す。常に従ひて項籍を撃破す。六年中を以て蕭・曹等と倶に封ぜらる。周昌を封じて汾陰侯と為す。周苛の子周成は父の事に死せしを以て、封ぜられて高景侯と為る。昌は人と為り彊力にして、敢へて直言す。蕭・曹等より皆之に卑下す。昌嘗て燕の時に入りて事を奏す。高帝方に戚姫を擁す。昌還り走る。高帝逐ひて得、周昌の項に騎りて、問ひて曰く、「我は何如なる主ぞや」と。昌仰ぎて曰く、「陛下は即ち桀紂の主なり」と。是に於て上之を笑ふ。然れども尤も周昌を憚る。
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尚書・太甲下言の汝の心に逆らふ有らば、必ず諸(これ)を道に求めよ。言の汝の志に遜(したが)ふ有らば、必ず諸を非道に求めよ。嗚呼(ああ)、
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説苑・雜言子石、呉山に登りて四望し、喟然として歎息して曰く、「嗚呼悲しいかな。世に事情に明らかにして人心に合わざる者有り、人心に合いて事情に明らかならざる者有り」と。弟子問いて曰く、「何の謂いぞや」と。子石曰く、「昔者、呉王夫差、伍子胥の言を聴かず、忠を尽くし極めて諫めしも、目を抉られて辜せらる。太宰嚭・公孫雒は、偷かに合し苟くも容れられ、以て夫差の志に順いて呉を伐たしむ。二子は身を江湖に沈められ、頭は越の旗に懸けらる。昔者、費仲・惡來革・長鼻決耳、崇侯虎は紂の心に順い、意に合わんと欲せしも、武王紂を伐ちて、四子は身を牧野に死し、頭足所を異にす。比干は忠を尽くして心を剖かれて死す。今、事情を明らかにせんと欲すれば、目を抉られ心を剖かるるの禍い有らんことを恐れ、人心に合わんと欲すれば、頭足所を異にするの患い有らんことを恐る。是に由りて之を観れば、君子の道狭きのみ。誠に其の明主に逢わずんば、狭道の中、又将に危険閉塞して、従いて出づ可き無からんとす」と。
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『正法眼蔵随聞記』巻五示して云く、昔し国王あり、国を治て後ちに諸の臣下に問ふ、我好く国を治む、よく賢なりやと、諸臣みな云く、帝甚だよく治む、太だ賢なりと、時に一臣ありて云く、帝は賢ならずと、帝の云く故は如何、臣が云く、国を治て後ち、帝の弟に与へずして息に与ふと、帝の心にかなはずして、追ひ立られて後、亦一臣に問ふ、朕よく仁なりや、臣が云く、甚だ仁なり、帝の云く、其の故いかん、臣が云く、仁君には必ず忠臣あり、忠臣は直言あるなり、前きの臣太だ直言なり、是れ忠臣なり、仁君にあらずんば得じと、帝是を感じて、即ち前きの臣をめしかへさるゝなり、
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