酔古堂剣掃 / 集峭・殿上の虎
才士不妨泛駕,轅下駒吾弗願也;諍臣豈合摸棱,殿上虎君無尤焉。
書き下し
才士は駕を泛すを妨げず、轅下の駒は吾願はざるなり、諍臣豈に摸棱に合せんや、殿上の虎たるも君尤むる無からん。
現代語訳
才能ある人は、車をひっくり返すような型破りな振る舞いをしてもかまいません。轅につながれておどおどする子馬のようにはなりたくありません。諫める臣下が、どっちつかずの態度をとってよいものでしょうか。宮殿の虎と恐れられるほど直言しても、主君はとがめたりしないでしょう。
解説
型にはまらない才能と、まっすぐな直言をたたえた、集峭らしい一則です。泛駕は車をひっくり返す暴れ馬のことで、漢の武帝が、暴れ馬や常識外れの人材も使い方しだいだと述べた詔が知られています。轅下の駒は、車の轅につながれて縮こまる若い馬で、臆病で決断できない人のたとえです。摸棱は、唐の蘇味道が物事をはっきりさせずに両方の角をなでておけばよいと言い、摸稜手と呼ばれた話から来た語です。殿上の虎は、宋の劉安世が遠慮なく諫言したため、こう呼ばれた話によります。組織にとって本当に価値があるのは、無難な人より、言うべきことを言う人です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
直言気骨人材治政諫言
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『晏子春秋』外篇上・有獻書譖晏子退耕而國不治復召晏子晏子景公に相たり。其の人を論ずるや、賢を見ては之を進め、君の欲する所に同じからず。不善を見ては則ち廃し、君の愛する所を辟けず。己を行いて私無く、直言して諱む無し。書を納むる者有りて、曰く、「廃置君前に周からざる、之を専と謂い、言を出して君前に諱まざる、之を易と謂う。専易の行い存すれば、則ち君臣の道廃す。吾晏子の忠臣為るを知らず」と。公以て然りと為す。晏子朝に入るに、公の色説ばず。故に晏子帰り、載を備え、人をして辞せしめて曰く、「嬰は故より老悖にして能無し。敢えて壮者の事に服する毋し」と。辞して臣たらず、退きて窮処し、東のかた海浜に耕し、堂下に藜藿生じ、門外に荊棘生ず。七年、燕・魯分争し、百姓惛乱して、家に積む無し。公自ら国を治め、権は諸侯に軽く、身は高・国に弱し。公恐れ、復た晏子を召す。晏子至るに、公は一たび七年の禄を帰し、而して家に蔵する無し。晏子立つに、諸侯其の威を忌み、高・国其の政に服し、燕・魯職を貢し、小国時に朝す。晏子没して後に衰う。
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『春秋左氏伝』哀公二十六年 無競惟人「大尹、其の君を惑蠱して、以て公室を陵虐す。我に與する者は、君を救ふ者なり」と。衆曰く、「之に與せん」と。大尹、徇へて曰く、「戴氏・皇氏、將に公室に不利ならんとす。我に與する者は、富まざるを憂ふること無からん」と。衆曰く、「別無し」と。戴氏・皇氏、公を伐たんと欲す。樂得曰く、「不可なり。彼は公を陵ぐを以て罪有り。我、公を伐たば、則ち焉より甚だし」と。國人をして大尹に施せしむ。大尹、啟を奉じて以て楚に奔る。乃ち得を立つ。司城、上卿と為る。盟ひて曰く、「三族、政を共にし、相害すること無かれ」と。衛の出公、城鉏より、弓を以て子贛に問はしめ、且つ曰く、「吾其れ入らんか」と。子贛、稽首して弓を受け、對へて曰く、「臣識らざるなり」と。使者に私して曰く、「昔、成公、陳に孫る。甯武子・孫莊子、宛濮の盟を為して、君入る。獻公、衛より齊に孫る。子鮮・子展、夷儀の盟を為して、君入る。今、君再び孫に在り。内に獻の親を聞かず、外に成の卿を聞かず。則ち賜、由りて入る所を識らざるなり。詩に曰く、『無競惟人、四方其れ之に順ふ』と。若し其の人を得ば、四方以て主と為さん。而るに國に於て何か有らん」と。
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史記 汲鄭列伝黯人と為り性倨にして、礼少なく、面折し、人の過ちを容るること能はず。己に合ふ者は善く之を待ち、己に合はざる者は見るに忍ぶこと能はず、士も亦此を以て附かず。然れども学を好み、游侠し、気節に任じ、内行修絜にして、直諫を好み、数々主の顔色を犯し、常に傅柏・袁盎の人と為りを慕ふなり。灌夫・鄭当時及び宗正劉棄に善し。亦数々直諫するを以て、久しく位に居るを得ず。是の時に当たり、太后の弟武安侯蚡丞相為り、中二千石来たりて拝謁するに、蚡礼を為さず。然れども黯蚡に見ゆるに未だ嘗て拝せず、常に之に揖す。天子方に文学儒者を招く、上曰く吾云云せんと欲すと、黯対へて曰く、「陛下内に欲多くして外に仁義を施す、柰何ぞ唐虞の治に效はんと欲するや」と。上黙然として、怒り、色を変じて朝を罷む。公卿皆黯の為に懼る。上退き、左右に謂ひて曰く、「甚しいかな、汲黯の戇なるや」と。群臣或いは黯を数む、黯曰く、「天子公卿輔弼の臣を置くは、寧ろ従諛承意して、主を不義に陥れしめんや。且つ已に其の位に在り、縦ひ身を愛すとも、朝廷を辱むることを柰何せん」と。黯病多く、病且に三月に満たんとし、上常に告を賜ふこと数々なるも、終に愈えず。最後に病む、荘助為に告を請ふ。
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『晏子春秋』雑上・景公睹乞兒于途晏子諷公使養/景公慚刖跪之辱不朝晏子稱直請賞之景公、嬰児の途に乞う者を睹る。公曰く、「是れ帰する無し」と。晏子対えて曰く、「君存す、何為れぞ帰する無き。吏をして之を養わしめば、立ちどころに以て聞く可し」と。景公、正昼に、髪を被り、六馬に乗り、婦人を御して以て正閨を出ず。刖跪其の馬を撃ちて之を反し、曰く、「爾は吾が君に非ず」と。公慚じて朝せず。晏子裔款を睹て問いて曰く、「君何の故に朝せざる」と。対えて曰く、「昔者、君、正昼に髪を被り、六馬に乗り、婦人を御して以て正閨を出ず。刖跪其の馬を撃ちて之を反して曰く、『爾は吾が君に非ず』と。公慚じて反り、果たして出でず。是を以て朝せず」と。晏子入りて見ゆ。景公曰く、「昔者寡人罪有り、髪を被り六馬に乗り以て正閨を出ず。刖跪馬を撃ちて之を反し、曰く、『爾は吾が君に非ず』と。寡人、子大夫の賜を以て、百姓を率いて以て宗廟を守るを得たり。今刖跪に戮せられ、以て社稷を辱む。吾猶お以て諸侯に斉しかる可けんや」と。晏子対えて曰く、「君焉を悪む勿かれ。臣聞く、下に直辞無ければ、上に隠悪有り。民に諱言多ければ、君に驕行有り。古者明君上に在れば、下に直辞多し。君上善を好めば、民に諱言無し。今君に失行有り、刖跪直辞して之を禁ず。是れ君の福なり。臣に放いて来たり慶ぶ。請う、之を賞し、以て君の善を好むを明らかにせん。之を礼し、以て君の諫を受くるを明らかにせん」と。公笑いて曰く、「可なるか」と。晏子曰く、「可なり」と。是に於て刖跪に令して資を倍し征無からしむ。時に朝に事無きなり。
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『幽夢影』巻下・鏡をして知有らしめば必ず撲破に遭はん媸顏陋質の、鏡と仇を爲さざる者は、亦鏡を以て無知の死物と爲すのみ。鏡をして知有らしめば、必ず撲破に遭はん。
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『春秋左氏伝』昭公五年 不穀の過ちなり祁午・張趯・籍談・女齊・梁丙・張骼・輔躒・苗賁皇有り。皆諸侯の選なり。韓襄は公族大夫為り。韓須は命を受けて使ひす。箕襄・邢帶・叔禽・叔椒・子羽、皆大家なり。韓の賦七邑は、皆成縣なり。羊舌の四族は、皆彊家なり。晉人若し韓起・楊肸を喪はば、五卿・八大夫、韓須・楊石を輔け、其の十家九縣に因りて、長轂九百、其の餘の四十縣、遺守四千、其の武怒を奮ひて、以て其の大恥に報いん。伯華之を謀り、中行伯・魏舒之を帥ゐば、其れ濟らざること蔑(な)からん。君將に親しみを以て怨みに易へんとし、實に禮無くして以て寇を速(まね)き、而も未だ其の備へ有らず。群臣をして往きて之に禽を遺(おく)らしめて、以て君の心を逞しくせんとす。何の可ならざることか之れ有らん」と。王曰く、「不穀の過ちなり。大夫辱むること無かれ」と。厚く韓子の為に禮す。王叔向を敖(あなど)るに其の知らざる所を以てせんと欲して能はず。亦た其の禮を厚くす。韓起反る。鄭伯諸を圉に勞ふ。辭して敢へて見えず。禮なり。