抱朴子外篇 / 廣譬
抱樸子曰:君子之升騰也,則推賢而散祿;庸人之得誌也,則矜貴而忽士。施惠隆於佞幸,用財出乎小惠。不與智者共其安,而望有危而見救;不與奇士同其歡,而欲有戚之見恤;猶災火張天,方請雨於名山;洪水淩空,而伐舟於東閭;不亦晚乎?
新字:抱樸子曰:君子之升騰也,則推賢而散禄;庸人之得誌也,則矜貴而忽士。施恵隆於佞幸,用財出乎小恵。不与智者共其安,而望有危而見救;不与奇士同其歓,而欲有戚之見恤;猶災火張天,方請雨於名山;洪水淩空,而伐舟於東閭;不亦晩乎?
書き下し
抱朴子曰く、君子の升騰するや、則ち賢を推して禄を散ず。庸人の志を得るや、則ち貴を矜りて士を忽せにす。恵みを施すこと佞幸に隆く、財を用うること小恵に出ず。智者と其の安きを共にせずして、危うき有れば救わるるを望み、奇士と其の歓びを同じくせずして、戚い有れば恤まるるを欲す。猶お災火の天に張るに、方に雨を名山に請い、洪水の空を淩ぐに、舟を東閭に伐るがごとし。亦た晩からずや。
現代語訳
抱朴子は言う。君子が出世すれば、賢者を推薦して俸禄を分け与える。凡人が志を得ると、貴さを誇って士を軽んじる。恵みを佞臣・寵臣に厚く施し、財を使うのは小さな恩恵ばかりである。智者と安楽を分かち合わずに、危機の時は救われることを望み、奇才の士と喜びを共にしないのに、憂いのときは憐れんでもらおうとする。それは、火事が天を焼くほどになってからやっと名山に雨乞いをし、洪水が空を越えるほどになってから東の里門の木を伐って舟を造るようなものだ。遅すぎはしないか。
解説
君子は出世すれば賢者を推して俸禄を分けますが、凡人は志を得ると貴さを誇って士を軽んじます。平時に智者や奇士と喜びを分けず、危機になってから救いを求める態度を「災火の天に張るに、方に雨を名山に請う」と描きます。火事になってから雨乞いをするようなもの、です。人材への投資は平時に行うもので、危機の際に急に頼っても間に合いません。取り立ててくれた恩の記憶がない相手は動きません。普段から有能な人に光を当て、報酬と機会を分け合っているか。それが危機対応力の実体です。
この章句が説くこと
賢を推して禄を散ず貴を矜りて士を忽せにす方に雨を名山に請い人材平時備え
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