酔古堂剣掃 / 集法・才は平時に儲ふ
國家用人,猶農家積粟。栗積於豐年,乃可濟饑;才儲於平時,乃可濟用。
新字:国家用人,猶農家積粟。栗積於豊年,乃可済饑;才儲於平時,乃可済用。
書き下し
國家の人を用ふるは、猶ほ農家の粟を積むがごとし。 粟は豐年に積みて、乃ち饑を濟ふべし。 才は平時に儲へて、乃ち用を濟すべし。
現代語訳
国家が人材を用いるのは、農家が穀物を蓄えるのに似ています。穀物は豊作の年に蓄えておいてこそ、飢饉のときに人を救うことができます。人材も平穏なときに蓄えておいてこそ、いざというときの役に立てることができます。
解説
人材の育成を穀物の備蓄にたとえた一則です。粟はあわで、ここでは穀物全般を指します。原文の二つ目の「栗」は、前の句とのつながりから「粟」の書き誤りと見て読みました。豊作の年に蓄えるからこそ飢饉を救える、という農家の知恵を、そのまま国の人材の話に移しています。困ってから人を探しても間に合わず、平時に才を見つけて育て、蓄えておかなければならないという考えです。儲は蓄える、濟は役に立てる、成し遂げるの意味です。会社でも、忙しくなってから採用や育成に手をつけても遅いのは同じです。余裕のある時期にこそ、次の担い手を育てる手間を惜しまないことが、組織の備えになります。
この章句が説くこと
治政用人人材育成備え
関連する章句
-
『墨子』備城門禽滑釐、子墨子に問いて曰く、聖人の言に由れば、鳯鳥出でず、諸侯、殷周の國に畔き、甲兵、方に天下に起こる。大は小を攻め、强は弱を執う。吾れ小國を守らんと欲す。之を為すこと奈何。子墨子曰く、何の攻をか之れ守らん。禽滑釐對えて曰く、今の世、常に攻むる所以の者は、臨・鉤・衝・梯・湮水・穴・□空洞・蟻傳・轒輼・軒車なり。服し問う、此の十二の者を守るは奈何。子墨子曰く、我が城池、修まり、守器、具わり、推粟、足り、上下、相い親しみ、又た四隣諸侯の救いを得ば、此れ持する所以なり。且つ守る者、善しと雖も、則ち若し以て守る可からざるなり。若し君、之を用いんに、守る者、又た必ず能くせんや。守る者、能くせずして、君、之を用いば、則ち猶お若し以て守る可からざるなり。然らば則ち守る者、必ず善くして、君、尊びて之を用い、然る後に以て守る可きなり。
-
論語・泰伯篇舜に臣五人有りて、天下治まる。武王曰く、「予に乱臣十人有り。」孔子曰く、「『才難し』とは、其れ然らずや。唐虞の際、斯に於いて盛んなりと為す。婦人有り、九人のみ。天下を三分して其の二を有ち、以て殷に服事す。周の徳は、其れ至徳と謂う可きのみ。」
-
孫子・作戦篇其の戦を用うるや、勝つを貴ぶ。久しければ則ち兵を鈍らせ鋭を挫き、城を攻むれば則ち力屈し、久しく師を暴せば則ち国用足らず。
-
尉繚子・武議良馬も策有れば、遠道致すべし。賢士も合有れば、大道明らかにすべし。
-
『韓非子』難二第三十七桓公曰く、「吾聞く、人に君たる者は人を索むるに労し、人を使うに佚すと。吾仲父を得ること已に難し。仲父を得るの後、何為れぞ易からざらんや。」
-
論語・雍也篇子游、武城の宰と為る。子曰く、「女、人を得たるか。」曰く、「澹台滅明なる者有り。行くに径に由らず。公事に非ざれば、未だ嘗て偃の室に至らざるなり。」