酔古堂剣掃 / 集法・才は平時に儲ふ
國家用人,猶農家積粟。栗積於豐年,乃可濟饑;才儲於平時,乃可濟用。
新字:国家用人,猶農家積粟。栗積於豊年,乃可済饑;才儲於平時,乃可済用。
書き下し
國家の人を用ふるは、猶ほ農家の粟を積むがごとし。 粟は豐年に積みて、乃ち饑を濟ふべし。 才は平時に儲へて、乃ち用を濟すべし。
現代語訳
国家が人材を用いるのは、農家が穀物を蓄えるのに似ています。穀物は豊作の年に蓄えておいてこそ、飢饉のときに人を救うことができます。人材も平穏なときに蓄えておいてこそ、いざというときの役に立てることができます。
解説
人材の育成を穀物の備蓄にたとえた一則です。粟はあわで、ここでは穀物全般を指します。原文の二つ目の「栗」は、前の句とのつながりから「粟」の書き誤りと見て読みました。豊作の年に蓄えるからこそ飢饉を救える、という農家の知恵を、そのまま国の人材の話に移しています。困ってから人を探しても間に合わず、平時に才を見つけて育て、蓄えておかなければならないという考えです。儲は蓄える、濟は役に立てる、成し遂げるの意味です。会社でも、忙しくなってから採用や育成に手をつけても遅いのは同じです。余裕のある時期にこそ、次の担い手を育てる手間を惜しまないことが、組織の備えになります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
治政用人人材育成備え
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