抱朴子外篇 / 廣譬
抱樸子曰:烈士之愛國也如家,奉君也如親,則不忠之事,不為其罪矣。仁人之視人也如己,待疏也猶密,則不恕之怨,不為其責矣。
新字:抱樸子曰:烈士之愛国也如家,奉君也如親,則不忠之事,不為其罪矣。仁人之視人也如己,待疏也猶密,則不恕之怨,不為其責矣。
書き下し
抱朴子曰く、烈士の国を愛するや家の如く、君に奉ずるや親の如くなれば、則ち不忠の事、其の罪と為らず。仁人の人を視るや己の如く、疏を待つや猶お密のごとくなれば、則ち不恕の怨み、其の責めと為らず。
現代語訳
抱朴子は言う。烈士が国を愛することは家のようであり、君に仕えることは親のようであれば、不忠という事柄は、その人の罪とはならない。仁人が人を見ることは己のようであり、疎遠な者を待遇することも親しい者のようであれば、思いやりに欠けるという怨みは、その人の責めとはならない。
解説
国を家のように愛し君を親のように仕える人には、不忠という罪が生じません。人を己のように見て、疎遠な者も親しい者のように遇する人には、思いやりに欠けるという怨みが生じません。罪も怨みも、距離の遠さから生まれるという見方です。「家のごとく」「己のごとく」と、他者を自分に引き寄せる比喩で、責任や配慮の根を語ります。組織では、社員を自分の家族や自分自身のように見られるかが、信頼の厚さを決めます。親しい部下と疎遠な部下に同じ配慮を向けられているか、点検する指標になります。
この章句が説くこと
国を愛するや家の如く君に奉ずるや親の如くなれば疏を待つや猶お密のごとくなれば忠恕公平親疎
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