抱朴子外篇 / 廣譬
抱樸子曰:升水不能救藪之燔草熱,撮壤不能遏砥柱之騰沸,寸刃不能刊長洲之林,獨是不能止朋黨之非。
新字:抱樸子曰:升水不能救藪之燔草熱,撮壤不能遏砥柱之騰沸,寸刃不能刊長洲之林,独是不能止朋党之非。
書き下し
抱朴子曰く、升水は藪の燔ゆる草の熱を救う能わず、撮壌は砥柱の騰沸を遏める能わず、寸刃は長洲の林を刊る能わず、独り是なる者は朋党の非を止むる能わず。
現代語訳
抱朴子は言う。一升の水では燃える藪の草の熱を救えず、ひとつまみの土では砥柱山の沸き立つ急流を止められず、一寸の刃では長い中州の林を切り開けない。ただ一人正しい者が、徒党の誤りを止めることはできない。
解説
一升の水で燃える藪は消せず、ひとつまみの土で急流は止まりません。「独り是なる者は朋党の非を止むる能わず」。正しさだけでは徒党の勢いに勝てない、という冷静な認識を示した段です。ここには諦めよりも、無策への戒めが含まれているように読めます。組織で一人が正論を述べても、空気が固まっていれば通りません。賛同者を増やす、小さな実績で信頼を積む、決定権を持つ人に先に説明するなど、正しさを通すための準備が要ります。
この章句が説くこと
升水は藪の燔ゆる草の熱を救う能わず独り是なる者は朋党の非を止むる能わず寸刃は長洲の林を刊る能わず孤立根回し
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