抱朴子外篇 / 廣譬
抱樸子曰:潛朽之木,不能當傾山之風,含隟之崖,難以值滔天之濤。故七百之祚,三十之世,非徒牧野之功;倒戈之敗,鹿臺之敗,不始甲子之朝。其強久矣,其亡尚矣。
新字:抱樸子曰:潜朽之木,不能当傾山之風,含隟之崖,難以値滔天之濤。故七百之祚,三十之世,非徒牧野之功;倒戈之敗,鹿台之敗,不始甲子之朝。其強久矣,其亡尚矣。
書き下し
抱朴子曰く、潜朽の木は、傾山の風に当たる能わず、隟を含む崖は、滔天の濤に値い難し。故に七百の祚、三十の世は、徒に牧野の功のみに非ず、倒戈の敗、鹿台の敗は、甲子の朝に始まらず。其の強きこと久し、其の亡ぶること尚し。
現代語訳
抱朴子は言う。内側が腐っている木は、山を傾けるほどの風に耐えられず、隙間を抱えた崖は、天に届く大波に当たってはもたない。だから七百年の国運と三十代の世は、ただ牧野の戦いの功だけによるのではなく、武器を逆さにして敗れたことや鹿台の滅亡は、甲子の朝に始まったのではない。その強さは久しい積み重ねであり、その滅びも遠い昔に始まっていた。
解説
「潜朽の木」は、外から見えない内部の腐りを指し、大風が吹いて初めて露わになります。周が七百年続いたのも、牧野の一戦だけではなく、長い積み重ねの結果だと言います。殷の敗北も、決戦の朝に突然起きたのではなく、ずっと以前から崩れていたというのです。企業の不祥事や急な業績悪化も、多くは突然ではなく、見過ごした小さな緩みの蓄積です。平時に内部の腐りを点検できるかどうかが、嵐の日の差になります。
この章句が説くこと
潜朽の木は傾山の風に当たる能わず其の強きこと久し其の亡ぶること尚し蓄積兆候
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