韓非子 / 老第二十一
見小曰明。
書き下し
小を見るを明と謂う。
現代語訳
(老子の言葉)些細な兆候(小)を見抜くことを「明(明晰さ)」という。
解説
紂王が「象牙の箸(象箸)」を作った時、賢臣の箕子はその「始まり(始)」を見て恐怖した。象牙の箸→素焼きの器は使わない→玉の杯→豆のスープは飲まない→珍味(旄象豹胎)→質素な服は着ない→豪華な宮殿(廣室高臺)。彼は、この「些細な(小)」贅沢が、やがて国を滅ぼす「天下の禍(卒)」の兆候であることを見抜いた。 リーダーは、小さな倫理の緩み(象箸)が、組織全体の腐敗(酒池肉林)の兆候(小)でないかを見抜く「明」を持たねばならない。
この章句が説くこと
兆候スリッパリー・スロープコンプライアンス倫理観リスク管理
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