抱朴子外篇 / 廣譬
抱樸子曰:世有雷同之譽而未必賢也;俗有讙嘩之毀而未必惡也。是以迎而許之者,未若鑒其事而試其用;逆而距之者,未若聽其言而課其實。則佞媚不以虛談進,良能不以孤弱退,駑蹇輟望於大輅,戎虬揚鑣而電騁。則功胡大而不可建,道胡遠而不可到?
新字:抱樸子曰:世有雷同之誉而未必賢也;俗有讙嘩之毀而未必悪也。是以迎而許之者,未若鑒其事而試其用;逆而距之者,未若聴其言而課其実。則佞媚不以虚談進,良能不以孤弱退,駑蹇輟望於大輅,戎虬揚鑣而電騁。則功胡大而不可建,道胡遠而不可到?
書き下し
抱朴子曰く、世に雷同の誉れ有りて未だ必ずしも賢ならず、俗に讙嘩の毀り有りて未だ必ずしも悪ならず。是を以て迎えて之を許す者は、其の事を鑒みて其の用を試すに若かず。逆えて之を距ぐ者は、其の言を聴きて其の実を課すに若かず。則ち佞媚は虚談を以て進まず、良能は孤弱を以て退かず、駑蹇は大輅に望みを輟め、戎虬は鑣を揚げて電のごとく騁す。則ち功胡ぞ大にして建つ可からざらん、道胡ぞ遠くして到る可からざらん。
現代語訳
抱朴子は言う。世には口をそろえた称賛があっても、必ずしも賢人とは限らず、世間には騒がしい誹謗があっても、必ずしも悪人とは限らない。だから迎え入れて認める場合も、その事績を見て実際に用いて試すほうがよく、拒んで退ける場合も、その言葉を聞いて実質を調べるほうがよい。そうすれば、媚びへつらう者は空談で出世できず、有能な者は後ろ盾が弱くても退けられず、鈍い馬は大きな車を引く望みを断ち、駿馬は轡を揚げて稲妻のように駆ける。そうなれば、どんな功績も大きく打ち立てられ、どんな遠い道も行き着くだろう。
解説
「世に雷同の誉れ有りて未だ必ずしも賢ならず」。皆が褒めるから優れている、皆が貶すから悪いとは限らないという、評判への警戒です。迎える場合も退ける場合も、評判ではなく、事績を鑑み、実際に用い、言葉の実質を調べよと言います。そうすれば口先の者は進めず、後ろ盾のない有能な者も埋もれません。人事評価でも、声の大きい人の印象や社内の噂に引きずられがちです。小さな仕事を任せて結果で判断する場を設けることが、人材を活かす近道になります。
この章句が説くこと
其の事を鑒みて其の用を試す其の言を聴きて其の実を課す良能は孤弱を以て退かず評判実績
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