抱朴子外篇 / 博喻
抱樸子曰:五嶽巍峨,不以藏疾傷其極天之高;滄海滉瀁,不以含垢累其無涯之廣。故九德尚寬以得眾,宣尼泛愛而與進。
新字:抱樸子曰:五嶽巍峨,不以蔵疾傷其極天之高;滄海滉瀁,不以含垢累其無涯之広。故九徳尚寛以得衆,宣尼泛愛而与進。
書き下し
抱朴子曰く、五嶽は巍峨として、疾を蔵するを以て其の極天の高きを傷つけず、滄海は滉瀁として、垢を含むを以て其の無涯の広きを累わせず。故に九徳は寛を尚びて以て衆を得、宣尼は泛愛して進むに与す。
現代語訳
抱朴子は言う。五嶽は高くそびえ、病(汚れ)を内に蔵していても天に届く高さを傷つけられず、滄海は果てしなく広がり、垢を含んでいても涯のない広さを損なわない。だから九徳は寛大さを尊んで衆の心を得、宣尼(孔子)は広く愛して進もうとする者に与した。
解説
山も海も汚れを含みながら高さと広さを失わない、という包容の段です。「滄海は滉瀁として、垢を含むを以て其の無涯の広きを累わせず」。清濁を併せ呑むから大きいという見立てで、前段の欠点論を器量の話に移します。「九徳は寛を尚びて以て衆を得」と、人を得るには寛容が先に立つとも言います。ただし寛容は何でも許すことではなく、孔子も進もうとする者に与したとあります。相手の欠点を受け入れつつ、伸びようとする側に力を貸す。部下との距離の取り方として読めます。
この章句が説くこと
垢を含むを以て其の無涯の広きを累わせず九徳は寛を尚びて以て衆を得宣尼は泛愛して進むに与す寛容器量
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