抱朴子外篇 / 博喻
抱樸子曰:丹華綠草,不拘於曲瘁之株;紫芝芳秀,不限於斥鹵之壤。是以受玄珪以告成者,生於四罪之門;承歷數於文祖者,出於頑囂之家。
新字:抱樸子曰:丹華緑草,不拘於曲瘁之株;紫芝芳秀,不限於斥鹵之壤。是以受玄珪以告成者,生於四罪之門;承歴数於文祖者,出於頑囂之家。
書き下し
抱朴子曰く、丹華緑草は、曲瘁の株に拘わらず、紫芝の芳秀は、斥鹵の壌に限られず。是を以て玄珪を受けて以て成るを告ぐる者は、四罪の門に生まれ、歴数を文祖に承くる者は、頑囂の家に出づ。
現代語訳
抱朴子は言う。赤い花や緑の草は、曲がって枯れた株にも拘わらず生え、紫の霊芝の芳しい秀でた姿は、塩分の荒地の土にも限られない。だから玄珪を受けて成功を告げた者は、四罪の門に生まれ、暦数を文祖から受け継いだ者は、愚かで頑なな者の家から出た。
解説
赤い花や緑の草は曲がった枯れ株にも生え、紫の霊芝は塩分の荒地にも育ちます。優れた者の出自は、親の質に縛られない、という言い方です。玄珪を受けて功成ったと告げた者は四罪に連なる家に生まれ、暦数を継いだ者は頑愚な家から出た、と具体例が続きます。「頑囂の家に出づ」。環境が悪いから人も悪いとは限らない、という主張です。育成の場面では、出身や家庭環境といった条件で将来を見限らない姿勢が問われます。
この章句が説くこと
丹華緑草は紫芝の芳秀は斥鹵の壌に限られず頑囂の家に出づ環境出自
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