抱朴子外篇 / 博喻
抱樸子曰:善言居室,則靡遠不應;枉直不中,則無近不離。是以宋野有退舍之熒惑;殷朝有外奔之昵屬。四環至自少廣之表,鹿馬變於蕭墻之裏。
新字:抱樸子曰:善言居室,則靡遠不応;枉直不中,則無近不離。是以宋野有退舎之熒惑;殷朝有外奔之昵属。四環至自少広之表,鹿馬変於蕭墻之裏。
書き下し
抱朴子曰く、善言室に居れば、則ち遠きとして応ぜざる靡く、枉直中たらざれば、則ち近きとして離れざる無し。是を以て宋野に舎を退く熒惑有り、殷朝に外に奔る昵属有り。四環は少広の表より至り、鹿馬は蕭墻の裏に変ず。
現代語訳
抱朴子は言う。良い言葉が室内に居れば、遠くでも応じない所はなく、曲がりと正しさが的を外せば、近くでも離れない者はない。だから宋の野には舎を退いた熒惑があり、殷の朝には外へ走った近親があった。四つの環は少広の外から届き、鹿と馬は垣の内側で入れ替わる。
解説
良い言葉が身近で語られれば遠くまで応じられ、曲がりと正しさの見極めを誤れば、身近な者さえ離れていく、という対です。後半は故事の列挙で、宋の野で熒惑が退いた話、殷の朝廷から近親が外へ走った話、遠方から四つの環が届く話、鹿と馬が入れ替わる話と続きます。原文は典故を略しているので、細部には立ち入りません。「枉直中たらざれば、則ち近きとして離れざる無し」。身内に近い人ほど、評価の不公平に敏感です。
この章句が説くこと
善言室に居れば枉直中たらざれば則ち近きとして離れざる無し鹿馬は蕭墻の裏に変ず公平側近
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