抱朴子外篇 / 博喻
抱樸子曰:誌得則顏怡,意失則容戚。本朽則末枯,源淺則流促。有諸中者必形乎表,發乎邇者必著乎遠。
新字:抱樸子曰:誌得則顔怡,意失則容戚。本朽則末枯,源浅則流促。有諸中者必形乎表,発乎邇者必著乎遠。
書き下し
抱朴子曰く、志得れば則ち顔怡び、意失えば則ち容戚う。本朽つれば則ち末枯れ、源浅ければ則ち流れ促し。諸を中に有する者は必ず表に形れ、邇きより発する者は必ず遠きに著わる。
現代語訳
抱朴子は言う。志がかなえば顔つきが和らぎ、思いが外れれば表情が憂える。根が朽ちれば枝先が枯れ、源が浅ければ流れが短い。内に持っているものは必ず表に現れ、近くから発したものは必ず遠くに著れる。
解説
志がかなえば顔がほころび、思いを失えば表情が曇る。根が朽ちれば枝先が枯れ、源が浅ければ流れは短い。内にあるものは必ず外に現れる、と言います。「諸を中に有する者は必ず表に形れ」。管理職として見るべきは、部下の表情や態度の変化を、気分の問題でなく中の状態の表れとして受け取ることです。数字に出る頃には、源の浅さや根の傷みはずっと前から顔に出ています。早い段階の変化に気づく目が、手当ての時期を決めます。
この章句が説くこと
志得れば則ち顔怡び本朽つれば則ち末枯れ諸を中に有する者は必ず表に形れ邇きより発する者は必ず遠きに著わる兆し内面
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