抱朴子外篇 / 博喻
抱樸子曰:屠犀為甲,給乎專征之服,裂翠為華,集乎後妃之首,雖出幽谷,遷於喬木,然為二物之計,未若棲竄於林薄,攝生乎榛藪也。故靈龜寧曳尾於塗中,而不願巾笥之寶;澤雉樂十步之啄,以違雞鶩之禍。
新字:抱樸子曰:屠犀為甲,給乎専征之服,裂翠為華,集乎後妃之首,雖出幽谷,遷於喬木,然為二物之計,未若棲竄於林薄,摂生乎榛藪也。故霊亀寧曳尾於塗中,而不願巾笥之宝;沢雉楽十歩之啄,以違鶏鶩之禍。
書き下し
抱朴子曰く、犀を屠りて甲と為し、専征の服に給し、翠を裂きて華と為し、後妃の首に集む、幽谷を出でて喬木に遷ると雖も、然れども二物の為に計るに、未だ林薄に棲竄し、榛藪に生を摂むるに若かず。故に霊亀は寧ろ尾を塗中に曳くも、巾笥の宝を願わず、沢雉は十歩の啄を楽しみ、以て鶏鶩の禍を違る。
現代語訳
抱朴子は言う。犀を屠って鎧とし、征討の装いに供し、翡翠を裂いて飾りとし、后妃の頭に集める。深い谷を出て高い木に移ったとはいえ、この二つの生き物のために考えれば、林や茂みに身を隠し、藪の中で命を養うのに及ばない。だから霊亀はむしろ泥の中に尾を引く暮らしを選び、箱に収められる宝となることを願わず、沢の雉は十歩に一度の餌を楽しみ、鶏や家鴨のような飼われる禍を避けるのである。
解説
サイを屠って鎧にし、翡翠の羽を裂いて后妃の飾りにする。谷から高い木へ出世したように見えても、当の二つの生き物にとっては、林や茂みに隠れて生を保つほうがよいと言います。霊亀は泥の中で尾を引く暮らしを選び、沢の雉は十歩の餌で満足して飼われる禍を避けます。「寧ろ尾を塗中に曳くも」。高い地位や重宝される場への登用が、必ずしも本人の幸福ではありません。昇進を打診するときは、本人が何を失うのかも一緒に話すことです。
この章句が説くこと
幽谷を出でて喬木に遷ると雖も霊亀は寧ろ尾を塗中に曳くも沢雉は十歩の啄を楽しみ重宝自由昇進
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