抱朴子外篇 / 博喻
抱樸子曰:逸麟逍遙大荒之表,故無機阱之禍;靈鸧振翅玄圃之峰,以違罩羅之患。何必曲穴而永懷怵惕。何必銜蘆而慘慘畏容。故充乎宰割之用者,必愛乎芻豢者也。給乎煎熬之膳者,必安乎庭立者也。
新字:抱樸子曰:逸麟逍遥大荒之表,故無機阱之禍;霊鸧振翅玄圃之峰,以違罩羅之患。何必曲穴而永懐怵惕。何必銜蘆而惨惨畏容。故充乎宰割之用者,必愛乎芻豢者也。給乎煎熬之膳者,必安乎庭立者也。
書き下し
抱朴子曰く、逸麟は大荒の表に逍遥す、故に機阱の禍無し、霊鸧は玄圃の峰に翅を振るう、以て罩羅の患いを違る。何ぞ必ずしも穴に曲まりて永く怵惕を懐かん。何ぞ必ずしも蘆を銜みて惨惨として容を畏れん。故に宰割の用に充てらるる者は、必ず芻豢を愛する者なり。煎熬の膳に給せらるる者は、必ず庭立に安んずる者なり。
現代語訳
抱朴子は言う。すぐれた麒麟は大荒の果てを自在に歩く、だから罠や落とし穴の禍がない。霊鸧は玄圃の峰で翼を振るう、それで網にかかる患いを避ける。どうして穴に身をかがめて長く恐れを抱く必要があろうか。どうして蘆をくわえて、ひどく恐れて姿を隠す必要があろうか。だから屠って切り分ける用に充てられる者は、必ず飼料の餌を愛した者である。煮焼きの料理に供される者は、必ず庭に立つ暮らしに安んじた者である。
解説
俗世の外を自在に歩く獣や鳥は罠にかからない、と言います。穴に縮こまって怯える必要も、蘆をくわえて身を隠す必要もありません。逆に、屠られるのは餌の良さに安んじた者、料理に供されるのは庭に安んじた者だと対にします。「必ず芻豢を愛する者なり」。待遇の安定に慣れきった者が、犠牲になりやすいという読みです。居心地の良い組織は、外に出る力を失わせかねません。居心地の良さと引き換えに何を差し出しているのか、点検する視点になります。
この章句が説くこと
逸麟は大荒の表に逍遥す永く怵惕を懐かん必ず芻豢を愛する者なり必ず庭立に安んずる者なり安住自由
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