抱朴子外篇 / 博喻
抱樸子曰:靈鳳振響於朝陽,未有惠物之益,而莫不澄聽於下風焉。鴟梟宵集於垣宇,未有分厘之損,而莫不掩耳而註鏑焉。故善言之往,無遠不悅;惡言之來,靡近不忤。猶日月無謝於貞明,枉矢見忘於暫出。
新字:抱樸子曰:霊鳳振響於朝陽,未有恵物之益,而莫不澄聴於下風焉。鴟梟宵集於垣宇,未有分厘之損,而莫不掩耳而註鏑焉。故善言之往,無遠不悦;悪言之来,靡近不忤。猶日月無謝於貞明,枉矢見忘於暫出。
書き下し
抱朴子曰く、霊鳳朝陽に響きを振るうも、未だ物を恵むの益有らざるに、聴きを下風に澄ませざるは莫く、鴟梟宵に垣宇に集まるも、未だ分厘の損有らざるに、耳を掩い鏑を註せざるは莫し。故に善言の往くや、遠きとして悦ばざる無く、悪言の来たるや、近きとして忤らわざる靡し。猶お日月の貞明に謝する無く、枉矢の暫く出づるに忘れらるるがごとし。
現代語訳
抱朴子は言う。霊鳳が朝日の当たる所で声を響かせても、物を恵む利益があるわけではないのに、風下で耳を澄まさない者はなく、鴟や梟が夜に垣や家に集まっても、わずかな損害もないのに、耳を覆い鏑を構えない者はない。だから善い言葉が出て行けば、遠くでも喜ばない所はなく、悪い言葉がやって来れば、近くでも逆らわない者はない。ちょうど日月が正しい明るさを謝することがなく、枉矢がしばらく現れただけで忘れられるようなものである。
解説
鳳凰の声は実益がなくても皆が耳を澄まし、梟が屋根に来ても実害はないのに皆が耳をふさぐ。反応は中身より響きで決まる、という不合理から始まります。「善言の往くや遠きとして悦ばざる無く」。言葉の質によって、受け取る側の反応は大きく変わります。上司の言葉は、良い知らせも悪い知らせも遠くまで届きます。何を言うかと同じくらい、どんな響きで言うかが、部下の間の評判をつくっていると読めます。
この章句が説くこと
聴きを下風に澄ませざるは莫く善言の往くや遠きとして悦ばざる無く悪言の来たるや言葉響き
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