抱朴子外篇 / 博喻
抱樸子曰:能言莫不褒堯,而堯政不必皆得也;舉世莫不貶桀,而桀事不必盡失也。故一條之枯,不損繁林之蓊藹;蒿麥冬生,無解畢發之肅殺。西施有所惡而不能減其美者,美多也;嫫母有所美而不能救其醜者,醜篤也。
新字:抱樸子曰:能言莫不褒堯,而堯政不必皆得也;舉世莫不貶桀,而桀事不必尽失也。故一条之枯,不損繁林之蓊藹;蒿麦冬生,無解畢発之粛殺。西施有所悪而不能減其美者,美多也;嫫母有所美而不能救其醜者,醜篤也。
書き下し
抱朴子曰く、能言する者は堯を褒めざるは莫きも、堯の政は必ずしも皆得たるにあらず、世を挙げて桀を貶めざるは莫きも、桀の事は必ずしも尽く失えるにあらず。故に一条の枯るるは、繁林の蓊藹を損なわず、蒿麦冬に生ずるも、畢発の粛殺を解く無し。西施に悪む所有れども其の美を減ずる能わざるは、美多ければなり、嫫母に美とする所有れども其の醜を救う能わざるは、醜篤ければなり。
現代語訳
抱朴子は言う。弁の立つ者は堯を褒めない者がないが、堯の政治が必ずしもすべて正しかったわけではない。世を挙げて桀を貶めない者がないが、桀のしたことが必ずしもすべて誤りだったわけではない。だから一本の枝が枯れても、茂った林の盛んな緑は損なわれず、蓬や麦が冬に生えても、厳しい寒気の粛殺を解くことはない。西施に嫌われる点があってもその美しさを減らせないのは、美しさが多いからであり、嫫母に美点があってもその醜さを救えないのは、醜さが重いからである。
解説
堯を褒め桀を貶めるのが世の常でも、堯にも失策、桀にも得点はありうる、という冷静な指摘から始まります。全体の評価は部分では動かない、と枯れ枝や西施・嫫母の例で重ねます。「美多ければなり」「醜篤ければなり」。評価を決めるのは量と全体の傾向です。人事評価では一つの失敗や成功だけで人を決めつけがちですが、全体の傾向が良い人の小さな欠点に過敏にならない見方にもつながります。
この章句が説くこと
堯の政は必ずしも皆得たるにあらず繁林の蓊藹を損なわず其の美を減ずる能わざるは其の醜を救う能わざるは全体評価
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