抱朴子外篇 / 博喻
抱樸子曰:鸞鳳競粒於庭場,則受褻於雞鶩;龍麟雜廁於芻豢,則見覿於六牲。是以商老棲峻以播邈世之操,卞隨赴深以全遺物之聲。
新字:抱樸子曰:鸞鳳競粒於庭場,則受褻於鶏鶩;竜麟雑廁於芻豢,則見覿於六牲。是以商老棲峻以播邈世之操,卞随赴深以全遺物之声。
書き下し
抱朴子曰く、鸞鳳、粒を庭場に競えば、則ち褻れを雞鶩に受け、龍麟、芻豢に雑じり廁われば、則ち覿ゆるを六牲に見らる。是を以て商老は峻に棲みて邈世の操を播し、卞随は深きに赴きて遺物の声を全うす。
現代語訳
抱朴子は言う。鸞や鳳が庭の穀粒を競って啄めば、鶏やあひるにまで馴れ馴れしくされ、龍や麒麟が家畜の中に混じれば、六種の牲として見られてしまう。だから商山の老人たちは険しい山に棲んで、世を遠く離れた操を広め、卞随は深い淵に身を投じて、物を捨てた名声を全うした。
解説
鸞鳳が庭で穀粒を争えば鶏やあひるに馴れ馴れしくされ、龍や麒麟が家畜に混じれば牲として扱われる。尊い者は、凡俗の中に降りて競うと値打ちを落とす、というたとえです。そのため商山の老人たちは険しい山に棲み、卞随は深い淵に赴いて名を全うした、と結びます。博喩の末尾で、距離を置く生き方の価値が語られます。職場に当てはめるなら、安売りされない専門性を保つこと、また優れた人材を雑務や消耗戦に埋もれさせない配慮、の二つの読みができます。
この章句が説くこと
粒を庭場に競えば芻豢に雑じり廁われば商老は峻に棲みて卞随は深きに赴きて矜持専門性
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