抱朴子外篇 / 安貧
夫丸泥已不能遏彭蠡之沸騰,獨賢亦焉能反流遁之失正?今先生入無儋石之儲,出無束修之調。徒含章如龍鳳,被文如虎豹,吐之如波濤,陳之如錦繡,而凍餓於環堵,何計疏之可吊?奚不泛輕舟以托迅,禦飛帆以遠之。交瑰貨於朔南,收金碧於九疑。迪崔烈之遐武,縻好爵於清時?徒疲勞於述作,豈蟬蛻之有期也?獨苦身以為名,乃黃老之所蚩也!」
新字:夫丸泥已不能遏彭蠡之沸騰,独賢亦焉能反流遁之失正?今先生入無儋石之儲,出無束修之調。徒含章如竜鳳,被文如虎豹,吐之如波濤,陳之如錦繍,而凍餓於環堵,何計疏之可吊?奚不泛軽舟以托迅,禦飛帆以遠之。交瑰貨於朔南,収金碧於九疑。迪崔烈之遐武,縻好爵於清時?徒疲労於述作,豈蝉蛻之有期也?独苦身以為名,乃黄老之所蚩也!」
書き下し
夫れ丸泥すら已に彭蠡の沸騰を遏む能わず、独賢も亦た焉んぞ流遁の正を失うを反す能わん。今、先生は入りては儋石の儲え無く、出でては束修の調え無し。徒に章を含むこと龍鳳の如く、文を被ること虎豹の如く、之を吐けば波濤の如く、之を陳ぶれば錦繡の如くして、環堵に凍餓す、何ぞ計の疏なるを吊わざらん。奚ぞ軽舟を泛べて迅に托し、飛帆を禦して遠く之かざる。瑰貨を朔南に交わし、金碧を九疑に収めん。崔烈の遐武に迪み、好爵を清時に縻がざるや。徒に述作に疲労するは、豈に蟬蛻の期有らんや。独り身を苦しめて以て名と為すは、乃ち黄老の蚩う所なり」と。
現代語訳
一握りの泥の玉では、鄱陽湖の沸き立つ水を止めることはできない。独り賢いだけでは、世の流れが正しさを失って逃げていくのを反転させることはできない。いま、先生は家に入れば一石の蓄えもなく、外に出れば束脩を納める備えもない。むなしく文章を内に蔵すること龍や鳳のようで、文を身にまとうこと虎や豹のようで、口に出せば波濤のようで、並べれば錦繡のようなのに、狭い囲い地の中で凍え飢えている。どうしてその計の疎かさを憐れまずにいられよう。なぜ軽い舟を浮かべて速い流れに乗り、飛ぶ帆を操って遠くへ行かないのか。珍しい財貨を北や南で交換し、金や碧を九疑山で収めたらよい。崔烈の遠い足跡を踏み、よい爵位を清らかな世につなぎ止めたらどうか。むなしく著述に疲れ果てるだけで、蟬の脱皮のような時が来るだろうか。独り身を苦しめて名を立てることは、黄帝・老子が笑うところである」と。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』大取指を斷つと腕を斷つと、天下を利すること相い若くんば、擇ぶこと無きなり。死と生と利、若ければ、一に擇ぶこと無し。一人を殺して以て天下を存するは、一人を殺して以て天下を利するに非ざるなり。已を殺して以て天下を存するは、是れ己を殺して以て天下を利するなり。事為の中に於いて輕重を權る、之を求と謂う。求は之を為すも非なり。害の中に小を取り、義を為さんことを求むるは、義を為すに非ざるなり。暴人の為に天の是を為すを語らんや。而して性、暴人の為にせば、天の非を為すを歌うなり。諸そ陳執、既に為す所有りて、我れ之を為さば、陳執の執る所の為す所は、吾が為す所に因るなり。若し陳執、未だ為す所有らずして、我れ之を陳執に為さば、陳執は吾が為す所に因るなり。暴人、我が為に、天の人を以てするを為すは、是を為すに非ざるなり。而して性、正す可からずして之を正す。
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