抱朴子外篇 / 尚博
或曰:「著述雖繁,適可以騁辭耀藻,無補救於得失,未若德行不言之訓。故顏閔為上而遊夏乃次。四科之格,學本而行末,然則綴文固為余事,而吾子不褒崇其源,而獨貴其流,可乎?」抱朴子答曰:「德行為有事,優劣易見。文章微妙,其體難識。夫易見者粗也,難識者精也。夫唯粗也,故銓衡有定焉;夫唯精也,故品藻難一焉。吾故舍易見之粗,而論難識之精,不亦可乎!」
新字:或曰:「著述雖繁,適可以騁辞耀藻,無補救於得失,未若徳行不言之訓。故顔閔為上而遊夏乃次。四科之格,学本而行末,然則綴文固為余事,而吾子不褒崇其源,而独貴其流,可乎?」抱朴子答曰:「徳行為有事,優劣易見。文章微妙,其体難識。夫易見者粗也,難識者精也。夫唯粗也,故銓衡有定焉;夫唯精也,故品藻難一焉。吾故舎易見之粗,而論難識之精,不亦可乎!」
書き下し
或ひと曰く、「著述は繁しと雖も、適に以て辞を騁せ藻を耀らすべきのみ、得失を補救する無し。未だ徳行不言の訓に若かず。故に顔閔を上と為して游夏は乃ち次なり。四科の格は、本を学び末を行う。然らば則ち綴文は固より余事と為す、而るに吾子は其の源を褒崇せず、独り其の流を貴ぶ、可ならんや」と。抱朴子答えて曰く、「徳行は事有りと為し、優劣見易し。文章は微妙にして、其の体は識り難し。夫れ見易き者は粗なり、識り難き者は精なり。夫れ唯だ粗なり、故に銓衡に定まり有り。夫れ唯だ精なり、故に品藻一なり難し。吾れ故に見易きの粗を舍てて、識り難きの精を論ず、亦た可ならずや」と。
現代語訳
ある人は言う。「著述は多いけれども、言葉を駆け巡らせ彩りを輝かせるだけで、得失を補い救うものがない。徳行という言わぬ教えには及ばない。だから顔回と閔子騫が上位に置かれ、子游と子夏はその次になった。四科の格付けは、本を先にし末を後にしている。そうであれば文を綴ることはもとより余事である。それなのにあなたはその源を尊ばず、ひとりその流れを貴ぶ。それでよいのか」と。抱朴子は答えて言う。「徳行には実際の事がらがあるので、優劣は見えやすい。文章は微妙で、その実体は見分けにくい。見えやすいものは粗く、見分けにくいものは精である。ただ粗いからこそ、はかりに定めがある。ただ精であるからこそ、品定めは一つにそろいにくい。私はだから見えやすい粗を捨てて、見分けにくい精を論じる。それもよいではないか」と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
説苑・善說齊景公子貢に謂いて曰く、「子誰をか師とする。」曰く、「臣仲尼を師とす。」公曰く、「仲尼賢なるか。」對えて曰く、「賢なり。」公曰く、「其の賢たること何如。」對えて曰く、「知らざるなり。」公曰く、「子其の賢を知りて其の奚若たるを知らざるは、可ならんか。」對えて曰く、「今天高しと謂うに、少長愚智と無く皆高きを知る。高きこと幾何ぞや。皆知らずと曰う。是を以て仲尼の賢を知りて其の奚若たるを知らざるなり。」
-
論語・子張篇子游曰く、吾が友張や、能くし難きことを為すなり。然れども未だ仁ならず。
-
論語・憲問篇子曰く、『驥は其の力を称せず、その徳を称すなり。』
-
史記 管晏列伝鮑叔既に管仲を進め、身を以て之に下る。子孫世々斉に禄せられ、封邑を有つこと十余世、常に名大夫為り。天下、管仲の賢を多とせずして、鮑叔の能く人を知るを多とす。
-
論語・憲問篇子曰く、人の己を知らざるを患えず、其の能わざるを患う。
-
論語・子張篇陳子禽、子貢に謂いて曰く、「子は恭を為すなり。仲尼豈に子より賢らんや。」子貢曰く、「君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎まざる可からざるなり。夫子の及ぶ可からざるや、猶お天の階して升る可からざるがごときなり。夫子の邦家を得たらば、所謂『之を立つれば斯に立ち、之を道けば斯に行き、之を綏んずれば斯に来たり、之を動かせば斯に和す。其の生くるや栄え、其の死するや哀しむ』。之を如何ぞ其れ及ぶ可けんや。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る