抱朴子外篇 / 省煩
抱撲子曰:安上治民,莫善於禮,彌綸人理,誠為曲備。然冠婚飲射,何煩碎之甚邪!人倫雖以有禮為貴,但當令足以敘等威而表情敬,何在乎升降揖讓之繁重,拜起俯伏之無已邪!往者天下乂安,四方無事,好古官長,時或修之,至乃講試累月,督以楚撻,晝夜修習,廢寢與食。經時學之,一日試之,執卷從事,案文舉動,黜謫之罰,又在其間,猶有過誤,不得其意。而欲以為以此為生民之常事,至難行也。此墨子所謂累世不能盡其學,當年不能究其事者也。
新字:抱撲子曰:安上治民,莫善於礼,弥綸人理,誠為曲備。然冠婚飲射,何煩砕之甚邪!人倫雖以有礼為貴,但当令足以敘等威而表情敬,何在乎升降揖譲之繁重,拝起俯伏之無已邪!往者天下乂安,四方無事,好古官長,時或修之,至乃講試累月,督以楚撻,昼夜修習,廃寝与食。経時学之,一日試之,執巻従事,案文舉動,黜謫之罰,又在其間,猶有過誤,不得其意。而欲以為以此為生民之常事,至難行也。此墨子所謂累世不能尽其学,当年不能究其事者也。
書き下し
抱朴子曰く、上を安んじ民を治むるは、礼より善きは莫く、人理を彌綸すること、誠に曲さに備われり。然れども冠婚飲射は、何ぞ煩碎の甚だしきや。人倫は礼有るを以て貴しと為すと雖も、但だ当に以て等威を叙し情敬を表するに足らしむべし、何ぞ升降揖譲の繁重、拜起俯伏の已むこと無きに在らんや。往者天下乂安にして、四方無事なるとき、古を好む官長、時に或いは之を修め、乃ち講試すること月を累ね、督するに楚撻を以てし、昼夜修習し、寝と食とを廃するに至る。時を経て之を学び、一日にして之を試み、巻を執りて事に従い、文を案じて挙動し、黜謫の罰、又た其の間に在り、猶お過誤有りて、其の意を得ず。而るに以て此を生民の常事と為さんと欲するは、至難にして行い難きなり。此れ墨子の所謂、世を累ねても其の学を尽くす能わず、当年にして其の事を究むる能わざる者なり。
現代語訳
抱朴子は言う。上を安んじ民を治めるのに、礼より善いものはなく、人の道理をあまねく網羅することは、まことに細やかに備わっている。しかし冠礼、婚礼、飲礼、射礼は、なんとわずらわしく細かすぎることか。人の間柄は礼があるから貴いとはいえ、ただ身分の序列を示し、敬いの心を表すに足りればよいはずだ。どうして上り下りや会釈のくどさ、拝し起ち伏す動作の際限なさにこだわる必要があろうか。以前、天下が治まり、四方が無事だったとき、古を好む長官がときにこれを行い、数か月も講義と試験を重ね、笞で督促し、昼夜稽古して、寝食を忘れるまでになった。時間をかけて学び、一日で試験をし、書を手にして事に当たり、文に照らして動作し、降格や罰もその間にあり、それでもなお誤りがあって、その趣旨を得られない。それをふつうの民の日常のこととしようとするのは、きわめて難しく行いにくい。これは墨子のいう、何代かかっても学びを尽くせず、盛りの年でもその事を究められないものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『驢鞍橋』卷下一日、去る人来り曰く何某は殊勝の僧にて、常に誦経計せらるゝ也。師聞て曰く、夫れても娑婆は大切なるべしと也。
-
『論語と算盤』成敗と運命・それ唯忠恕のみさればと言うてその内容にのみ腐心して形式を疎外視することもよろしくない。およそ各種の事業として、内外共に権衡を欠いてはならぬ。要するに、単にその表面を衒わんがため、いたずらに形式にのみ囚わるるということは、最も注意してこれを避けねばならぬ。
-
『墨子』魯問子墨子曰く、曹公子を出だして宋に於いてす。三年にして反る。子墨子を睹て曰く、「始め吾れ子の門に游びしとき、短褐の衣、藿羮も朝に之を得れば則ち夕に得ず、鬼神を祭祀す。而して夫子の政を以て家、始めより厚し。家、厚きこと有りて謹んで鬼神を祭祀す。然り而して人徒、多く死し、六畜、蕃らず、身は病に湛む。吾れ未だ夫子の道の用う可きを知らざるなり」と。子墨子曰く、「然らず。夫れ鬼神の人に欲する所の者は多し。人の髙爵禄に處らば則ち以て賢に讓り、財多ければ則ち以て貧に分かつを欲す。夫れ鬼神、豈に唯だ擢季拑肺を之れ欲せんや。今、子は髙爵禄に處りて以て賢に讓らず、一の不祥なり。財多くして以て貧に分かたず、二の不祥なり。今、子、鬼神に事うるは、唯だ祭るのみ。而して曰く、『病、何自り至れるか』と。是れ猶お百門にして一門を閉じて、『盜、何從り入らん』と曰うがごときなり。是くの若くして福を求むるは、怪の鬼に於いて有らんや。豈に可ならんや」と。
-
『呻吟語』内篇・應務・習尚の人を壞るは狂泉を飲むが如し士君子の相與するや、必ず諸を禮義に協へ、世俗の計較一切を將て脫し盡くすを求む。今世禮を知ると號する者は、全く聖賢の本意を理會せず、只だ是れ節文習熟し、事體諳練し、燦然として觀る可し。人便ち之を稱し、自家欣然として自得し、泰然として人を責む。嗟夫、繁文彌いよ尚ばれてより先王の道湮沒す。天下の苦だ相責め、群がりて相逐ふ者は、皆な末世の靡文なり。之を道に求むれば、十に九は合はず。此れを之れ習尚と謂ふ。習尚の人を壞るは、狂泉を飲むが如し。
-
史記 趙世家且つ服奇なる者は志淫なりとせば、則ち是れ鄒・魯に奇行無きなり。俗辟なる者は民易なりとせば、則ち是れ呉・越に秀士無きなり。且つ聖人は身を利するを之を服と謂ひ、事を便にするを之を礼と謂ふ。夫れ進退の節、衣服の制は、常民を斉しくする所以なり。賢者を論ずる所以に非ざるなり。
-
『茶の本』第一章 人情の碗・シルクハットを得ることが文明かかくのごとき誤解は、われわれのうちからすみやかに消え去ってゆく。商業上の必要に迫られて、欧州の国語が東洋幾多の港に用いられるようになって来た。アジアの青年は現代的教育を受けるために、西洋の大学に群がってゆく。われわれの洞察力は、諸君の文化に深く入り込むことはできない。しかし少なくともわれわれは喜んで学ぼうとしている。私の同国人のうちには、諸君の習慣や礼儀作法をあまりに多く取り入れた者がある。こういう人は、こわばったカラや丈の高いシルクハットを得ることが、諸君の文明を得ることと心得違いをしていたのである。かかる様子ぶりは、実に哀れむべき嘆かわしいものであるが、ひざまずいて西洋文明に近づこうとする証拠となる。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る