抱朴子外篇 / 鈞世
「且夫古者事事醇素,今則莫不雕飾,時移世改,理自然也。至於罽錦麗而且堅,未可謂之減於蓑衣;輜車並妍而又牢,未可謂之不及椎車也。書猶言也,若入談語,故為知有,胡越之接,終不相解,以此教戒,人豈知之哉!若言以易曉為辨,則書何故以難知為好哉?若舟車之代步涉,文墨之改結繩,諸後作而善於前事,其功業相次千萬者,不可復縷舉也。世人皆知之,快於曩矣,何以獨文章不及古邪?
新字:「且夫古者事事醇素,今則莫不雕飾,時移世改,理自然也。至於罽錦麗而且堅,未可謂之減於蓑衣;輜車並妍而又牢,未可謂之不及椎車也。書猶言也,若入談語,故為知有,胡越之接,終不相解,以此教戒,人豈知之哉!若言以易暁為弁,則書何故以難知為好哉?若舟車之代歩渉,文墨之改結縄,諸後作而善於前事,其功業相次千万者,不可復縷舉也。世人皆知之,快於曩矣,何以独文章不及古邪?
書き下し
「且つ夫れ古は事事醇素なり、今は則ち雕飾せざる莫し、時移り世改まるは、理の自然なり。罽錦の麗しくして且つ堅きに至りては、未だ之を蓑衣に減ると謂う可からず。輜車の並びに妍にして又牢きは、未だ之を椎車に及ばずと謂う可からず。書は猶お言のごときなり、若し談語に入れば、故より知ること有りと為すも、胡越の接するは、終に相解せず、此を以て教戒せば、人豈に之を知らんや。若し言は曉り易きを以て弁と為さば、則ち書は何が故に知り難きを以て好しと為さんや。舟車の歩渉に代わり、文墨の結縄を改むるが若き、諸の後に作られて前事より善く、其の功業相次ぐこと千万なる者は、復た縷挙す可からず。世人皆な之を知り、曩より快しとす、何を以て独り文章のみ古に及ばずとせんや。
現代語訳
「そのうえ、昔はことごとく素朴であり、今は飾らないものはない。時が移り世が改まるのは、道理として自然である。毛織りの錦は美しくて丈夫であり、これを蓑より劣るとは言えない。幌つきの車も、美しくてまた頑丈であり、素朴な車に及ばないとは言えない。書は言葉と同じものである。もし普段の話し言葉の中に入れば、もとから知っているものはある。けれども胡や越の人が出会うように、まったく通じない場合には最後まで互いにわからない。これで人に教え戒めようとしても、人がどうして理解できようか。もし言葉は曉りやすいことを巧みさとするなら、書はなぜわかりにくいことを良しとするのか。舟や車が徒歩の代わりをし、文字が縄の結び目を改めたように、あとから作られて前のものより善く、その功績が千万にも相次ぐものは、数え挙げきれない。世の人はみなこれを知り、以前より快いとしているのに、なぜ文章だけが古に及ばないというのか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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抱朴子外篇・鈞世或ひと曰く、「古の書を著す者は、才大にして思深し、故に其の文隠れて曉り難し。今人は意浅く力近し、故に露にして見え易し。此の見え易きを以て、彼の曉り難きに比ぶるは、猶お溝澮の江河に方べ、蟲豈垤の嵩岱に並ぶがごとし。故に水は山昆山より発せざれば、洪流を揚げて以て東に漸むこと能わず。書は英俊より出でざれば、遠きを致すの弘韻を備うること能わず」と。抱朴子答えて曰く、「夫れ管穴を論ずる者には、九陔の外無きを問う可からず。拘閡に習う者には、抜萃の独見を督す可からず。蓋し往古の士は、鬼にあらず神にあらず、其の形器は疇曩に冶鑠すと雖も、然れども其の精神は方策に布く。情は辞に見われ、指帰得可し。且つ古書の隠れ多きは、未だ必ずしも昔人の故に曉り難からしめんと欲するにあらず、或いは世異なり語変じ、或いは方言同じからず、経は荒れ歴は乱れ、埋蔵すること積むこと久しく、簡編朽絶し、亡失する者多く、或いは雑続残欠し、或いは章句を脱去す。是を以て知り難く、至深なるに似たるのみ。且つ夫れ『尚書』は政事の集なり、然れども近代の優文詔策軍書奏議の清富贍麗なるに若かず。『毛詩』は華彩の辞なり、然れども『上林』『羽猟』『二京』『三都』の汪濊博富なるに及ばず。然らば則ち古の子書の、能く今の作者に勝るとは、何ぞや。然るに守株の徒、嘍嘍として玩ぶ所、耳有りて目無し、何ぞ肯て爾りと謂わん。其の古人の作る所を以て神と為し、今世の著す所を浅と為す、遠きを貴び近きを賤しむこと、自りて来る有り。
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抱朴子外篇・尚博或ひと曰く、「今世の為す所は、多く古に及ばず。文章著述も、又た亦た之の如し。豈に気運衰殺するは、自然の理なるか」と。抱朴子答えて曰く、「百家の言は、歩起有りと雖も、皆な碩儒の思いより出で、才士の手に成る。古人に方ぶれば、必ずしも悉くは減らず。或いは汪濊玄曠にして作者に合契し、内には不測の深源を辟き、外には不匱の遠流を播く者有り。其の祖宗とする所は高く、其の紬繹する所は妙なり。変化は規矩の方円に系滞せず、旁通は一途の逼促に凝閡せず。是を以て偏えに酸鹹を嗜む者は、其の味を知る能わず、思いを用うること限り有る者は、其の神を得る能わず。夫れ応龍は徐ろに挙がり、顧眄して雲を淩ぎ、汗血は緩やかに歩み、呼吸に千里す。而るに螻蟲は豈に其の階無くして高く致るを怪しみ、駑蹇は其の己に過ぐるの漸ならざるを患えんや。若し夫れ詩論の中に馳駆し、伝記の間に周旋して、常情を以て巨異を覧、褊量を以て無涯を測り、至粗を以て至精を求め、甚だ浅きを以て甚だ深きを揣らば、髫齔に始まり振素に訖ると雖も、猶お得ざるなり。
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抱朴子外篇・辭義抱朴子曰く、夫れ才に清濁有り、思いに修短有り、並びに属文すと雖も、叁差たること万品、或いは浩瀁にして淵渾ならず、或いは事情にして辞鈍く、或いは物理に違えども文は工みなり。蓋し偏長の一致にして、兼通の才に非ざるなり。自ら料るに暗くして、強いて之を兼ねんと欲し、才に違いて務めを易う、故に嗤いを免れず。抱朴子曰く、五味は舛なるも並びに甘く、衆色は乖くも皆麗し。近人の情は、同じきを愛し異なるを憎み、己に合うを貴び、途を殊にするを賤しむ。夫れ文章の体は、尤も詳らかに賞し難し。苟くも耳に入るを以て佳と為し、心に適うを以て快と為さば、味を忘るるの九成、雅頌の風流を知る者鮮し。所謂塩梅の鹹酸を考えて、大羹の致さざるを知らず、飄搖の細巧を明らかにして、沈深の弘邃に蔽わるるなり。其の英異宏逸なる者は、則ち玄黄の表に網羅し、其の拘束齷齪なる者は、則ち籠罩の内に羈紲せらる。翅を振るうに利鈍有れば、則ち翔集に高卑有り。跡を騁するに遅迅有れば、則ち進趨に遠近有り。駑鋭は柱に膠して調う可からず。文は豊贍を貴ぶ、何ぞ必ずしも善を称すること一口の如くならんや。風俗の流遁、世途の凌夷を拯い、疑う者の路を通じ、貧しき者の乏しきを賑わす能わずんば、何ぞ春華の肴糧の用を為さず、茝蕙の氷寒の急を救わざるに異ならん。古詩は過失を刺る、故に益有りて貴ばる。今詩は純ら虚誉す、故に損有りて賤しまるるなり。
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抱朴子外篇・尚博夫れ賞して快き者は必ず之を誉むるに好を以てし、而して曉るを得ざる者は必ず之を毀るに悪を以てするは、自然の理なり。是に於て其の解せざる所を以て虚誕と為し、慺誠にして以て爾りと為す、未だ必ずしも情に違いて物を傷なうにあらざるなり。又た世俗は率ね古昔を神にして貴び、同時を黷して賤しむ。追風の駿有りと雖も、猶お之を造父の御する所に及ばずと謂い、連城の珍有りと雖も、猶お之を楚人の泣く所に及ばずと謂い、疑いを断つ剣有りと雖も、猶お之を欧冶の鋳る所に及ばずと謂い、死を起こす薬有りと雖も、猶お之を和鵲の合する所に及ばずと謂い、群を超ゆる人有りと雖も、猶お之を竹帛の載する所に及ばずと謂い、世を益する書有りと雖も、猶お之を前代の遺文に及ばずと謂う。是を以て仲尼は当時に重んぜられず、太玄は比肩に蚩薄せらる。俗士は多く云う、今の山は古の山の高きに及ばず、今の海は古の海の広きに及ばず、今の日は古の日の熱きに及ばず、今の月は古の月の朗らかなるに及ばずと。何ぞ肯えて今の才士の、古の枯骨に減らざるを許さんや。聞く所を重んじ、見る所を軽んずるは、一世の患いに非ず。昔の琴を破り弦を剿ちし者は、諒に以て然ること有るか。
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抱朴子外篇・鈞世「故に新剣は詐りて刻めば価を加え、弊方は偽りて題すれば宝とせらる。是を以て古書は質樸なりと雖も、俗儒は之を天より墮つと謂い、今文は金玉なりと雖も、常人は之を瓦礫に同じくす。古書は多しと雖も、未だ必ずしも尽くは美ならず、要は当に以て学者の山淵と為し、筆を属する者をして、其の中に辨伐漁猟するを得しむべし。然れども譬えば東甌の木、長洲の林は、梓豫多しと雖も、未だ之を大廈の壮観、華屋の弘麗と謂う可からず。雲夢の沢、孟諸の藪は、魚肉饒かなりと雖も、未だ之を煎火敖の盛膳、渝狄の嘉味と謂う可からず。今の詩と古の詩とは、倶に義理有りて、差美なるに盈つ。
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抱朴子外篇・鈞世之を士に方ぶれば、並びに徳行有れども、一人偏えに芸文に長ずれば、一例と謂う可からず。之を女に比ぶれば、倶に国色を体すれども、一人独り百伎に閑なれば、混じて異なること無しと為す可からず。若し夫れ倶に宮室を論ずるに、奚斯の路寝の頌は、王生の霊光を賦するに何如ぞ。同じく遊猟を説くに、叔畋盧鈴の詩は、相如の上林を言うに何如ぞ。並びに祭祀を美するに、清廟雲漢の辞は、郭氏の南郊の艶に何如ぞ。等しく征伐を称するに、出車六月の作は、陳琳の武軍の壮に何如ぞ。則ち条を挙げて以て覚る可し。近者夏侯湛・潘安仁並びに補亡詩を作る、白華・由庚・南陔・華黍の属、諸の碩儒高才の文を賞する者、咸以て古詩三百、未だ以て二賢の作る所に偶するに足る者有らずと。
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