抱朴子外篇 / 鈞世
方之於士,並有德行,而一人偏長藝文,不可謂一例也;比之於女,俱體國色,而一人獨閑百伎,不可混為無異也。若夫俱論宮室,而奚斯路寢之頌,何如王生之賦靈光乎?同說遊獵,而叔畋盧鈴之詩,何如相如之言上林乎?並美祭祀,而清廟雲漢之辭,何臺郭氏南郊之艷乎?等稱征伐,而出車六月之作,何如陳琳武軍之壯乎?則舉條可以覺焉。近者夏侯湛潘安仁並作補亡詩,白華由庚南陔華黍之屬,諸碩儒高才之賞文者,鹹以古詩三百,未有足以偶二賢之所作也。
新字:方之於士,並有徳行,而一人偏長芸文,不可謂一例也;比之於女,倶体国色,而一人独閑百伎,不可混為無異也。若夫倶論宮室,而奚斯路寝之頌,何如王生之賦霊光乎?同説遊猟,而叔畋盧鈴之詩,何如相如之言上林乎?並美祭祀,而清廟雲漢之辞,何台郭氏南郊之艶乎?等称征伐,而出車六月之作,何如陳琳武軍之壮乎?則舉条可以覚焉。近者夏侯湛潘安仁並作補亡詩,白華由庚南陔華黍之属,諸碩儒高才之賞文者,鹹以古詩三百,未有足以偶二賢之所作也。
書き下し
之を士に方ぶれば、並びに徳行有れども、一人偏えに芸文に長ずれば、一例と謂う可からず。之を女に比ぶれば、倶に国色を体すれども、一人独り百伎に閑なれば、混じて異なること無しと為す可からず。若し夫れ倶に宮室を論ずるに、奚斯の路寝の頌は、王生の霊光を賦するに何如ぞ。同じく遊猟を説くに、叔畋盧鈴の詩は、相如の上林を言うに何如ぞ。並びに祭祀を美するに、清廟雲漢の辞は、郭氏の南郊の艶に何如ぞ。等しく征伐を称するに、出車六月の作は、陳琳の武軍の壮に何如ぞ。則ち条を挙げて以て覚る可し。近者夏侯湛・潘安仁並びに補亡詩を作る、白華・由庚・南陔・華黍の属、諸の碩儒高才の文を賞する者、咸以て古詩三百、未だ以て二賢の作る所に偶するに足る者有らずと。
現代語訳
これを士にたとえれば、どちらにも徳行はあっても、一人がひとえに文芸に長じていれば、同じ扱いにはできない。これを女にたとえれば、どちらも国一番の容色をそなえていても、一人がひとり多くの技芸に通じていれば、違いがないと混同してはならない。たとえば同じく宮室を論じるのに、奚斯の路寝の頌は、王生が霊光殿を賦したものにどう及ぶか。同じく狩猟を説くのに、叔が狩りをする、鈴の音という詩は、司馬相如が上林を述べたものにどう及ぶか。同じく祭祀をほめるのに、清廟や雲漢の詞は、郭氏の南郊の華やかさにどう及ぶか。同じく征伐を称えるのに、出車や六月の作は、陳琳の武軍の壮大さにどう及ぶか。こうして条を挙げれば悟ることができる。近ごろ夏侯湛と潘安仁がともに補亡詩を作った。白華・由庚・南陔・華黍などの類である。多くの碩学や高才のうち文を賞する者は、みな、古詩三百篇にも、この二人の作に並ぶに足るものはないと言った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
孫子・始計篇故に之を校ぶるに七計を以てして其の情を索む。曰く、主孰れか道有る、将孰れか能有る、天地孰れか得たる、法令孰れか行わる、兵衆孰れか強き、士卒孰れか練れたる、賞罰孰れか明らかなる、と。吾此を以て勝負を知る。
-
『墨子』耕柱巫馬子、子墨子に謂いて曰く、「子は天下を兼愛するも、未だ利ありと云わず。我れは天下を愛せざるも、未だ賊すと云わず。功、皆な未だ至らざるに、子、何ぞ獨り自ら是として我を非とするや」と。子墨子曰く、「今、此に燎ゆる者有り。一人は水を奉じて将に之に灌がんとし、一人は火を摻りて将に之を益さんとす。功、皆な未だ至らざるも、子、何れをか二人に貴ばん」と。巫馬子曰く、「我れは彼の水を奉ずる者の意を是とし、夫の火を摻る者の意を非とす」と。子曰く、「吾れも亦た吾が意を是とし、子の意を非とするなり」と。
-
『甲陽軍鑑』品第四十曽根内匠又問ふ、信玄公と元就と武勇いづれ多少ぞといへば、内藤修理答へていはく、元就公の武勇信玄公よりちとうへなり、子細はもとが甲州一国ほどももたぬ元就にて、其上国数多き敵の故如此、但し信玄公の御弓箭は軍法の儀古今まれなり、是を以てさたせば末代によき大将衆信玄公をほめ奉らんと内藤修理、曽根·真田·三枝三人の若者に申しをしゆるなり、
-
論語・憲問篇子曰く、人の己を知らざるを患えず、其の能わざるを患う。
-
史記 管晏列伝鮑叔既に管仲を進め、身を以て之に下る。子孫世々斉に禄せられ、封邑を有つこと十余世、常に名大夫為り。天下、管仲の賢を多とせずして、鮑叔の能く人を知るを多とす。
-
論語・憲問篇子曰く、『驥は其の力を称せず、その徳を称すなり。』
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る