抱朴子外篇 / 譏惑
抱樸子曰:澄濁剖判,庶物化生,習族或能應對焉,毛宗或有知言焉。於玃識往,歸終知來,玄禽解陰陽,蟲也蟲豈遠泉流,蓍龜無以過焉,甘石不能勝焉。夫唯無禮,不廁貴性,厥初邃古,民無階級,上帝悼混然之甚陋,憫巢穴之可鄙,故構棟宇以去鳥獸之群,制禮數以異等威之品。教以盤旋,訓以揖讓,立則磬折,拱則抱鼓,趨步升降之節,瞻視接對之容,至於三千。蓋檢溢之堤防,人理之所急也。故儼若冠於曲禮,望貌首於五事,出門有見賓之肅,閑居有敬獨之戒,顏生整儀於宵浴,仲由臨命而結纓,恭容暫廢,惰慢已及,安上治民,非此莫以。
新字:抱樸子曰:澄濁剖判,庶物化生,習族或能応対焉,毛宗或有知言焉。於玃識往,帰終知来,玄禽解陰陽,虫也虫豈遠泉流,蓍亀無以過焉,甘石不能勝焉。夫唯無礼,不廁貴性,厥初邃古,民無階級,上帝悼混然之甚陋,憫巣穴之可鄙,故構棟宇以去鳥獣之群,制礼数以異等威之品。教以盤旋,訓以揖譲,立則磬折,拱則抱鼓,趨歩升降之節,瞻視接対之容,至於三千。蓋検溢之堤防,人理之所急也。故儼若冠於曲礼,望貌首於五事,出門有見賓之粛,閑居有敬独之戒,顔生整儀於宵浴,仲由臨命而結纓,恭容暫廃,惰慢已及,安上治民,非此莫以。
書き下し
抱樸子曰く、澄濁剖判し、庶物化生して、習族は或いは応対する能う有り、毛宗は或いは言を知る有り。玃は往を識り、帰終は来を知り、玄禽は陰陽を解し、虫や虫は豈に泉流に遠からんや。蓍亀も過ぐる無く、甘石も勝つ能わず。夫れ唯だ礼無きは、貴性に廁らず。厥の初め邃古は、民に階級無し。上帝は混然の甚だ陋なるを悼み、巣穴の鄙しむ可きを憫み、故に棟宇を構えて以て鳥獣の群を去り、礼数を制して以て等威の品を異にす。教うるに盤旋を以てし、訓うるに揖譲を以てし、立てば則ち磬折し、拱けば則ち鼓を抱く。趨歩升降の節、瞻視接対の容、三千に至る。蓋し検溢の堤防、人理の急なる所なり。故に儼たること冠は曲礼に若き、貌を望むこと五事に首たり。門を出ずれば賓を見るの粛有り、閑居すれば独りを敬するの戒め有り。顔生は儀を宵浴に整え、仲由は命に臨みて纓を結ぶ。恭容暫く廃すれば、惰慢已に及ぶ。上を安んじ民を治むるは、此に非ざれば以て莫し。
現代語訳
抱樸子は言う。清いものと濁ったものが分かれ、万物が生まれ変化すると、習族(鳥獣の仲間)の中には応対できるものもあり、毛を持つ獣の中には言葉を解するものもある。猿は過去を知り、帰終の獣は未来を知り、玄鳥は陰陽を理解し、虫でさえ泉の流れから遠くない。蓍や亀の占いも優れるわけではなく、甘公・石申の天文も勝てない。ただ礼のないものだけは、貴い性質の仲間に入れられない。その初め、太古には民に階級がなかった。上帝は混沌とした粗野を憐れみ、巣穴の住まいを哀れんで、家屋を作って鳥獣の群れから離れさせ、礼の数を定めて身分や威儀の等級を分けた。立ち居ふるまいを教え、揖譲(へりくだりの礼)を訓え、立てば磬のように腰を曲げ、手を組めば太鼓を抱えるようにする。進退昇降の節、見るもの接する応対の様子は、三千に及ぶ。思うに、これは度を越すのを防ぐ堤防で、人の道の急務である。だから冠を正して整えることは曲礼にあり、容貌を見るのは五事の筆頭である。門を出れば賓客に会うような慎みがあり、独りで居れば自らを敬う戒めがある。顔回は夜の入浴にも身なりを整え、子路は死に臨んでも冠の紐を結んだ。恭しい様子を少しの間やめれば、怠惰がもう及んでいる。上を安んじ民を治めるのは、これでなければできない。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公六年 人の僻に效はず六月、丙戌、鄭災あり。楚の公子棄疾晉に如く。韓子に報ゆるなり。鄭を過ぐ。鄭の罕虎・公孫僑・游吉、鄭伯に從ひて以て諸を柤に勞ふ。辭して敢へて見えず。固く請ひて之に見ゆ。見ゆること王に見ゆるが如し。其の乘馬八匹を以て私かに面(まみ)ゆ。子皮に見ゆること上卿の如く、馬六匹を以てす。子產に見ゆるに馬四匹を以てし、子大叔に見ゆるに馬二匹を以てす。芻牧採樵を禁じ、田に入らず、樹を樵らず、蓺を采らず、屋を抽かず、強ひて匄(こ)はず。誓ひて曰く、「命を犯す者有らば、君子は廢し、小人は降さん」と。舍りて暴を為さず、主は賓を慁(わづら)はさず。往來是くの如し。鄭の三卿皆其の將に王と為らんとするを知る。韓宣子の楚に適くや、楚人逆へず。公子棄疾晉の竟に及ぶ。晉侯將に亦た逆へざらんとす。叔向曰く、「楚は辟(よこしま)にして我は衷(ただ)し。若何ぞ辟に效はん。詩に曰く、『爾の教ふる、民胥(あひ)效ふ』と。我に從ふのみ。焉んぞ人の辟に效ふを用ゐん。書に曰く、『聖は則を作す』と。寧ろ善人を以て則と為す無くして、人の辟に則らんや。匹夫善を為すも、民猶ほ之に則る、況んや國君をや」と。晉侯說(よろこ)び、乃ち之を逆ふ。
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論語・八佾篇孔子季氏を謂う、「八佾庭に舞わす。是れをも忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶ可からざらん。」
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論語・郷党篇車に升るには、必ず正しく立ちて綏を執る。車中にては、内顧せず、疾言せず、親指せず。
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