論語 / 郷党篇
升車,必正立,執綏。車中,不內顧,不疾言,不親指。
新字:升車,必正立,執綏。車中,不内顧,不疾言,不親指。
書き下し
車に升るには、必ず正しく立ちて綏を執る。車中にては、内顧せず、疾言せず、親指せず。
現代語訳
車に乗るときは、必ずまっすぐ立って、つかまり綱(綏)を手にした。車中では、後ろをきょろきょろ振り返らず、早口でまくし立てず、あれこれ指さすこともしなかった。
解説
郷党篇の、孔子が車に乗るときのふるまいを描いた一節です。乗車の所作一つとっても、姿勢を正し、無用にきょろきょろせず、早口や指さしを慎む——落ち着いた、品位ある態度が貫かれています。細かな動作にまで乱れがないことが、その人の内面の安定を映すのです。孔子にとって「礼」とは、堅苦しい規則ではなく、こうした日常の一挙一動に自然ににじむものでした。仕事でも、慌ただしいときほど、所作や言葉遣いに人柄が出ます。移動中や待ち時間、ちょっとした場面での落ち着き——せかせかせず、無駄口を控え、どっしり構える。細部の落ち着きが、周囲に安心感と信頼を与えます。
この章句が説くこと
模範升車必正立規律所作リーダーシップ落ち着き
関連する章句
-
孟子・離婁章句上孟子曰く、「人は與に適むるに足らざるなり。政は間するに足らざるなり。惟だ大人のみ能く君の心の非を格すことを為す。君、仁なれば仁ならざること莫く、君、義なれば義ならざること莫く、君、正しければ正しからざること莫し。一たび君を正しくすれば、國定まる。」
-
孟子・離婁章句上孟子曰く、「規矩は方員の至りなり。聖人は人倫の至りなり。君為らんと欲せば君の道を盡くし、臣為らんと欲せば臣の道を盡くす。二者皆堯舜に法るのみ。舜の堯に事うる所以を以て君に事えざるは、其の君を敬せざる者なり。堯の民を治むる所以を以て民を治めざるは、其の民を賊する者なり。孔子曰く、『道は二つ、仁と不仁とのみ。』其の民を暴すること甚だしければ、則ち身弒せられ國亡ぶ。甚だしからざれば、則ち身危うく國削らる。之を名づけて幽厲と曰う。孝子慈孫と雖も、百世改むること能わざるなり。詩に云う、『殷鑒遠からず、夏后の世に在り。』此を之れ謂うなり。」
-
論語・八佾篇子曰く、『管仲の器、小なる哉!』或曰く、『管仲は倹なりや。』曰く、『管氏に三帰有り。』曰く、『然らば礼を知るや。』曰く、『邦君、塞門を樹つ、管氏も亦塞門を樹つ。邦君、二君の好を為すに反坫有り、管氏も亦反坫有り。管仲、その器小なる哉!』
-
論語・八佾篇孔子季氏を謂う、「八佾庭に舞わす。是れをも忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶ可からざらん。」
-
論語・泰伯篇子曰く、恭にして礼無ければ則ち労す。慎にして礼無ければ則ち葸る。勇にして礼無ければ則ち乱る。直にして礼無ければ則ち絞す。君子親に篤ければ、則ち民仁に興る。故旧遺れざれば、則ち民偸からず。
-
『韓非子』心度第五十四聖人の民を治むるは、本に度り、其の欲を從(ほしいまま)にせしめず、民を利するを期するのみ。故に其の之に刑を與うるは、民を悪む所以に非ず、愛の本なり。