抱朴子外篇 / 疾謬
其相見也,不復敘離闊,問安否。賓則入門而呼奴,主則望客而喚狗。其或不爾,不成親至,而棄之不與為黨,及好會,則狐蹲牛飲,爭食競割。掣撥渺摺,無復廉恥,以同此者為泰,以不爾者為劣。終日無及義之言,徹夜無箴規之益。誣引老莊,貴於率任,大行不顧細禮,至人不拘檢括,嘯傲縱逸,謂之體道。嗚呼,惜乎,豈不哀哉!於是嘲族以敘歡交,極黷以結情款。以傾倚申腳者為妖妍標秀,以風格端嚴者為田舍樸馬矣;以蚩鎮抗指者為巢力令鮮倚,以出言有章者為摺答猝突。凡彼輕薄之徒,雖便辟偶俗,廣結伴流,更相推揚,取達速易,然率皆皮膚狡澤,而懷空抱虛。有似蜀人瓠壺之喻,胸中無一紙之誦,所識不過酒炙之事。所謂傲很明德,即聾從昧,冒於貨財,貪於飲食,左生所載,不才之子也。
新字:其相見也,不復敘離闊,問安否。賓則入門而呼奴,主則望客而喚狗。其或不爾,不成親至,而棄之不与為党,及好会,則狐蹲牛飲,争食競割。掣撥渺摺,無復廉恥,以同此者為泰,以不爾者為劣。終日無及義之言,徹夜無箴規之益。誣引老荘,貴於率任,大行不顧細礼,至人不拘検括,嘯傲縦逸,謂之体道。嗚呼,惜乎,豈不哀哉!於是嘲族以敘歓交,極黷以結情款。以傾倚申脚者為妖妍標秀,以風格端厳者為田舎樸馬矣;以蚩鎮抗指者為巣力令鮮倚,以出言有章者為摺答猝突。凡彼軽薄之徒,雖便辟偶俗,広結伴流,更相推揚,取達速易,然率皆皮膚狡沢,而懐空抱虚。有似蜀人瓠壺之喩,胸中無一紙之誦,所識不過酒炙之事。所謂傲很明徳,即聾従昧,冒於貨財,貪於飲食,左生所載,不才之子也。
書き下し
其の相見ゆるや、復た離闊を叙し、安否を問わず。賓は則ち門に入りて奴を呼び、主は則ち客を望みて狗を喚ぶ。其れ或いは爾らざれば、親至を成さずとして、之を棄てて与に党と為さず。好会に及びては、則ち狐蹲牛飲し、食を争い割を競う。掣撥渺摺して、復た廉恥無く、此れに同じき者を以て泰と為し、爾らざる者を以て劣と為す。終日義に及ぶの言無く、徹夜箴規の益無し。老荘を誣引し、率任を貴び、大行は細礼を顧みず、至人は檢括に拘わらずと謂い、嘯傲縦逸して、之を体道と謂う。嗚呼、惜しいかな、豈に哀しからずや。是に於いて族を嘲りて以て歓交を叙べ、黷を極めて以て情款を結ぶ。傾倚申脚を以て妖妍標秀と為し、風格端厳なるを以て田舎の樸馬と為す。凡そ彼の軽薄の徒は、便辟して俗に偶し、広く伴流を結び、更相推揚して、達を取ること速く易しと雖も、率ね皆な皮膚狡澤にして、空しきを懐き虚しきを抱く。蜀人の瓠壺の喩えの有るに似て、胸中に一紙の誦無く、識る所は酒炙の事に過ぎず。所謂明徳に傲很し、聾に即き昧に従い、貨財を冒し、飲食に貪る者、左生の載する所の不才の子なり。
現代語訳
互いに会っても、もう久しい別れを語らず、無事かどうかも尋ねない。客は門に入るなり下男を呼び、主人は客を見ると犬を呼ぶ。もしそうしなければ、親しみが至らないとして、見捨てて仲間にしない。宴会になれば、狐のようにしゃがみ牛のように飲み、食べ物を争い肉を切り取る。引っ張り合い、乱れ引き裂いて、もはや恥を知らず、これに同じる者を寛大とし、そうでない者を劣るとする。一日中、道義に及ぶ言葉はなく、夜通し諫めとなる益もない。老子・荘子を誤用して引き、気ままに任せることを貴び、大行は細かな礼を顧みず、至人は縛りに拘らないと言い、うそぶき気ままに過ごすことを、道を体得したと呼ぶ。ああ、惜しいことだ、悲しくないだろうか。そこで一族をけなすことで歓びの交わりを表し、猥雑を極めて心の誠を結ぶ。身をかしげ足を伸ばす者をあでやかで優れていると称し、風格が端正で厳かな者を田舎の野暮な馬と見なす。およそ彼ら軽薄な者たちは、巧みに世に合わせ、広く仲間を作り、互いに持ち上げ合って、出世は速く易しいが、おおよそ皮膚だけつややかで、中は空っぽである。蜀人の瓠の壺の譬えがあるように、胸の中に一枚の紙ほどの暗唱もなく、知っているのは酒や焼き肉のことにすぎない。いわゆる明らかな徳に傲り逆らい、愚かさに従い、財貨を貪り、飲食に耽る者は、左伝に載る不才の子である。
解説
この章句が説くこと
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