抱朴子外篇 / 疾謬
或因變故,佻竊榮貴,或賴高援,翻飛拔萃,於是便驕矜誇驁,氣淩雲物,步高視遠,眇然自足,顧瞻否滯失群之士,雖實英異,忽焉若草。或傾枕而延賓,或稱疾以距客,欲令人士立門以成林,軍騎填噎於閭巷,呼謂尊貴,不可不爾。夫以勢位言之,則周公勤於吐握;以聞望校之,則仲尼恂恂善誘。鹹以勞謙為務,不以驕慢為高。漢之末世,則異於茲。蓬發亂鬢,橫挾不帶。或褻衣以接,或裸袒而箕踞。朋友之集,類味之遊,莫切切進德,門言門言修業,攻過弼違,講道精義。
新字:或因変故,佻窃栄貴,或頼高援,翻飛抜萃,於是便驕矜誇驁,気淩雲物,歩高視遠,眇然自足,顧瞻否滞失群之士,雖実英異,忽焉若草。或傾枕而延賓,或称疾以距客,欲令人士立門以成林,軍騎填噎於閭巷,呼謂尊貴,不可不爾。夫以勢位言之,則周公勤於吐握;以聞望校之,則仲尼恂恂善誘。鹹以労謙為務,不以驕慢為高。漢之末世,則異於茲。蓬発乱鬢,横挟不帯。或褻衣以接,或裸袒而箕踞。朋友之集,類味之遊,莫切切進徳,門言門言修業,攻過弼違,講道精義。
書き下し
或いは変故に因りて、栄貴を佻竊し、或いは高援に頼りて、翻飛して抜萃す。是に於いて便ち驕矜誇驁し、気は雲物を淩ぎ、歩は高く視は遠く、眇然として自ら足れりとす。否滞失群の士を顧瞻するに、実に英異なりと雖も、忽焉として草の若し。或いは枕を傾けて賓を延き、或いは疾と称して客を距む。人士をして門に立ちて林を成さしめ、軍騎をして閭巷に填噎せしめんと欲し、呼びて尊貴と謂い、爾らざる可からずと謂う。夫れ勢位を以て之を言えば、則ち周公は吐握に勤む。聞望を以て之を校ぶれば、則ち仲尼は恂恂として善く誘う。咸な労謙を務めと為し、驕慢を以て高しと為さず。漢の末世は、則ち茲に異なる。蓬髪乱鬢、横挾して帯びず。或いは褻衣して以て接し、或いは裸袒して箕踞す。朋友の集い、類味の遊は、切切として徳に進み、業を修め、過ちを攻め違いを弼け、道を講じ義を精しくする莫し。
現代語訳
変事に乗じて栄華と地位を軽々しく盗み取る者や、高い引き立てに頼って飛び立ち抜きん出る者がいる。すると直ちに驕り高ぶって誇り、気概は雲をも凌ぎ、歩みは高く目は遠く、悠然と自分で満ち足りた気になる。不遇で仲間を失った士を見ても、実に優れた人であっても、たちまち草のように扱う。枕に伏したまま客を迎え、あるいは病と称して客を拒む。人々を門に林のように立たせ、軍の騎兵を村里にあふれさせようとし、これを尊貴と呼び、そうでなければならないと言う。そもそも権勢と地位で言えば、周公は食事の最中に口の物を吐き、洗髪の最中に髪を握って客に応じる勤勉さだった。名声で比べれば、孔子は慎み深く、よく人を導いた。皆、謙虚に努めることを務めとし、驕り高ぶることを高貴とはしなかった。漢の末世はこれと異なる。髪を乱し、帯を締めずに横に挟み、あるいはくだけた衣で人に接し、あるいは肌をあらわにして足を投げ出して座る。友の集まりや同好の遊びでも、真摯に徳を進め、業を修め、過ちを責め違いを正し、道を講じ義を究める者がいない。
解説
この章句が説くこと
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