格言聯璧 / 從政類・大智は眾思を集む
大智興邦,不過集眾思。 大愚誤國,只為好自用。 吾爵益高,吾志益下。 吾官益大,吾心益小。 吾祿益厚,吾施益博。 安民者何?無求於民,則民安矣。
新字:大智興邦,不過集衆思。 大愚誤国,只為好自用。 吾爵益高,吾志益下。 吾官益大,吾心益小。 吾禄益厚,吾施益博。 安民者何?無求於民,則民安矣。
書き下し
大智の邦を興すは、眾思を集むるに過ぎず。 大愚の國を誤るは、只だ好んで自ら用ふるが為なり。 吾が爵益々高くして、吾が志益々下る。 吾が官益々大にして、吾が心益々小なり。 吾が祿益々厚くして、吾が施益々博し。 民を安んずる者は何ぞ。民に求むる無ければ、則ち民安し。
現代語訳
大いなる知恵が国を興すのは、多くの人の考えを集めるからにすぎません。 大いなる愚かさが国を誤らせるのは、ただ自分の考えだけを使いたがるからです。 私の爵位が高くなるほど、私の志はいよいよへりくだります。 私の官職が大きくなるほど、私の心はいよいよ細やかに慎み深くなります。 私の俸禄が厚くなるほど、私の施しはいよいよ広くなります。 民を安らかにするとは何でしょうか。民に何も求めなければ、民は安らかになります。
解説
一行目の対句は、国の興亡を分けるのは指導者一人の賢さではなく、衆知を集めるか独断に走るかだと説きます。続く三行は、爵・官・禄が上がるほど志・心・施を反対向きに変えていくという、地位と心構えの逆比例を示します。心益小は、気持ちが縮こまることではなく、慎み深くなることです。『荀子』などに、楚の宰相孫叔敖の言葉としてほぼ同じ句が見えます。最後の行は次の単位の「察吏者何」と対になり、民から取り立てないことが民を安んずる道だと言います。昇進したときこそ、人の意見を聞き、腰を低くし、周りに分けることを心がけたいものです。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
謙虚衆知治政昇進独断
関連する章句
-
『肝要工夫録』・忠は我を忘れる先祖代々、我が身まで數百年來、安樂に暮し、其家を相續すること、君の御恩の廣大なること、たとふべきものなし。先づ君につかふるには、唯だ忠の一字を朝暮忘るべからず、一體忠の字は、君にかぎらず、朋友其外、人に對して、こゝろのまことを十分に盡すことなり。この誠をつくすべきの最上は、君に止まる故に、專ら君に對していふなり。されば、君につかふるには、何事も裏表なく、己れが力一ぱいに盡すべき事なり。その心力をつくさむとおもはゞ、先づ君あることを知りて、我あることをわするゝを肝要の工夫とすべし。もし幸を得て、昇進する事あらば、我が不肖を以て此職に任じ、果して御爲になるか、ならざるかと、薄氷を踏むが如く、深淵に臨むが如く、唯だ其任を重んじて、いよいよ人をも敬ひ、己を謙虛するものなり。(謙虛とは、いんぎんにへりくだりて、胸中に慢心なきをいふ。かやうの人は、衆人の贔屓するものなり。古人の言葉に、足多きものは倒れずといふて、蜈蚣や、蚰は、死んでも倒れぬものにて、足の助け多き故なり。人もそのごとくにて、おのれの高貴才智に誇らず、謙虛なるときは、衆人ひゐきして、助け多きゆゑに、無實のつまづきなどなきことなり。)是れ我あることを知らざるゆゑなり。
-
抱朴子外篇・疾謬或いは変故に因りて、栄貴を佻竊し、或いは高援に頼りて、翻飛して抜萃す。是に於いて便ち驕矜誇驁し、気は雲物を淩ぎ、歩は高く視は遠く、眇然として自ら足れりとす。否滞失群の士を顧瞻するに、実に英異なりと雖も、忽焉として草の若し。或いは枕を傾けて賓を延き、或いは疾と称して客を距む。人士をして門に立ちて林を成さしめ、軍騎をして閭巷に填噎せしめんと欲し、呼びて尊貴と謂い、爾らざる可からずと謂う。夫れ勢位を以て之を言えば、則ち周公は吐握に勤む。聞望を以て之を校ぶれば、則ち仲尼は恂恂として善く誘う。咸な労謙を務めと為し、驕慢を以て高しと為さず。漢の末世は、則ち茲に異なる。蓬髪乱鬢、横挾して帯びず。或いは褻衣して以て接し、或いは裸袒して箕踞す。朋友の集い、類味の遊は、切切として徳に進み、業を修め、過ちを攻め違いを弼け、道を講じ義を精しくする莫し。
-
史記 魏公子列伝魏の公子無忌は、魏の昭王の少子にして魏の安釐王の異母弟なり。昭王薨じ、安釐王即位し、公子を封じて信陵君と為す。是の時、范睢魏を亡げて秦に相たり、魏斉を怨むの故を以て、秦の兵大梁を囲み、魏の華陽の下の軍を破り、芒卯を走らす。魏王及び公子これを患ふ。公子は人と為り仁にして士に下り、士は賢不肖と無く皆謙りて礼もてこれに交はり、敢へてその富貴を以て士に驕らず。士は此を以て方数千里争ひ往きてこれに帰し、食客三千人を致す。是の時に当たりて、諸侯は公子の賢にして客多きを以て、敢へて兵を加へて魏を謀らざること十余年。
-
『文武訓』文訓上之末一人は只、わが身をかへりみて、わが身のさかしおろかなると、才あるとつたなきとのほどを知りて、つねに人にへりくだり、わが身にほこるべからず。才智ありてもなくしても、わが身にほこりたかぶり、人をこのんで見くだし、又そしるは罪ふかし。いとおろかなりといふべし。
-
『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、今時の人すべを知らす、餓鬼畜生をさへ離れすして、二乗見解と云つて声聞縁覚をそしる人あり、あまり土な事なり。人は知らず、我は餓鬼畜生を離れす、誰ほしと云はば、おれほしと云はんずと也。因に人問ふ、日本諸宗の大師先徳に、古は大修行底の人有りや。師曰、知らぬ事なり、残されたる法語等を以て見れば、経文語録の格を以て書示されたると見えたり。実に修行强き人有りとも見えすと也。
-
『武家家訓集』毛利元就三子教訓状「二十歳から四十余年のこと」一元就事二十五年、奧元にはなれ申、至當年于今迄四十餘ヶ年、其內大浪小浪洞に、他家之弓矢いかばかり轉變に候哉、然處元就一人すべりぬけ候て、如此之儀不思議不能申候身ながら、吾等事けな氣者、とうほ手ものにても、智惠才覺人に越候者にても、又正直正路者にて人にすぐれ、神佛の御まぼりあるべき者にても、何之條にてもなく候處に、かやうにすべりぬけ候事、何之段にて候共、更身ながら不及推量候〱、然間はやく〱心安、ちと今生のらくをも仕、心靜に後生のねがひをも仕度候へ共、其段も先ならず候て不及申候〱、