抱朴子外篇 / 疾謬
或有不通主人,便共突前,嚴飾未辦,不復窺聽,犯門折關,逾垝穿隙,有似抄劫之至也。其或妾媵藏避不及,至搜索隱僻,就而引曳,亦怪事也。夫君子之居室,猶不掩家人之不備,故入門則揚聲,升堂則下視,而唐突他家,將何理乎?然落拓之子,無骨鯁而好隨俗者,以通此者為親密,距此者為不恭,誠為當世不可以不爾。於是要呼憒雜,入室視妻,促膝之狹坐,交杯觴於咫尺,弦歌淫冶之音曲,以言兆文君之動心,載號載呶,謔戲醜褻,窮鄙極黷,爾乃笑亂男女之大節,蹈《相鼠》之無儀。
新字:或有不通主人,便共突前,厳飾未辦,不復窺聴,犯門折関,逾垝穿隙,有似抄劫之至也。其或妾媵蔵避不及,至捜索隠僻,就而引曳,亦怪事也。夫君子之居室,猶不掩家人之不備,故入門則揚声,升堂則下視,而唐突他家,将何理乎?然落拓之子,無骨鯁而好随俗者,以通此者為親密,距此者為不恭,誠為当世不可以不爾。於是要呼憒雑,入室視妻,促膝之狭坐,交杯觴於咫尺,弦歌淫冶之音曲,以言兆文君之動心,載号載呶,謔戯醜褻,窮鄙極黷,爾乃笑乱男女之大節,蹈《相鼠》之無儀。
書き下し
或いは主人に通ぜず、便ち共に突前す。厳飾未だ辦ぜざるに、復た窺い聴かず、門を犯し関を折り、垝を逾え隙を穿つ。抄劫の至るに似たる有るなり。其の或いは妾媵の避け蔵るるに及ばざれば、隠僻を搜索するに至り、就きて引曳す。亦た怪事なり。夫れ君子の居室すら、猶お家人の備わざるを掩わず。故に門に入れば則ち声を揚げ、堂に升れば則ち下視す。而るに他家に唐突す、将た何の理ぞや。然れども落拓の子、骨鯁無くして俗に随うを好む者は、此れに通ずる者を以て親密と為し、此れを拒む者を以て不恭と為し、誠に当世は爾らざる可からずと為す。是に於いて要呼して憒雑し、室に入りて妻を視、膝を促して狭く坐し、杯觴を咫尺に交え、淫冶の音曲を弦歌し、言を以て文君の心を動かすを兆し、載ち号び載ち呶ぎ、謔戯醜褻、鄙を窮め黷を極め、爾乃ち笑いて男女の大節を乱し、《相鼠》の無儀を蹈む。
現代語訳
主人に取り次ぎも頼まず、そのままどやどやと押し入る者がいる。身なりを整える間も与えず、聞き耳を立てることもなく、門を犯し閂を折り、崩れた垣を越え隙間から潜り込む。略奪が来たかのようである。たまたま側女や侍女が隠れる間もなければ、隅々まで探し回り、近づいて引っぱる。これもまた怪しい事である。そもそも君子は自分の居室であっても、家人の身支度が整わないところをむりに覗かない。だから門に入れば声を上げ、堂に上がれば目を伏せる。それなのに他人の家に無遠慮に突入するのは、どういう理屈か。ところが、さえない者や、骨気がなく俗に従うことを好む者は、こういうことに通じている者を親密とし、これを拒む者を不敬とし、まことに今の世はそうでなければならないと思い込んでいる。そこで呼び集めて入り乱れ、室に入って人の妻を見、膝を寄せて狭く座り、杯を目の前で交わし、淫らな歌曲を奏で歌い、言葉で文君(卓文君)の心を動かしたようなことを企て、叫び騒ぎ、戯れ笑って醜く下品で、卑しさを極め汚れを極め、そして笑って男女の大節を乱し、『相鼠』の詩が責める無作法を踏んでいる。
解説
この章句が説くこと
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