導師導古典を学びたいすべての人に 法人向けワークシート法人向けワークシート

抱朴子外篇 / 酒誡

「千鍾百斛,不經之言,不然之事,明者不信矣。夫聖人之異自才智,至於形骸非能兼人,有七尺三丈之長,萬倍之大也。一日之飲,安能至是?仲尼則畏性之變,不敢及亂。周公則終日百拜,肴乾酒澄。上聖戰戰,猶且若斯,況乎庸人,能無悔乎?漢高應天,承運革命,向雖不醉,猶當斬蛇。於公聰達,明於聽斷,小大以情,不失枉直。是以刑不濫加,世無怨民。但其健飲,不即廢事。若論大醉,亦俱無知。決疑之才,何賴於酒?未聞臯繇甫侯子產釋之,醉乃折獄也。

新字:「千鍾百斛,不経之言,不然之事,明者不信矣。夫聖人之異自才智,至於形骸非能兼人,有七尺三丈之長,万倍之大也。一日之飲,安能至是?仲尼則畏性之変,不敢及乱。周公則終日百拝,肴乾酒澄。上聖戦戦,猶且若斯,況乎庸人,能無悔乎?漢高応天,承運革命,向雖不酔,猶当斬蛇。於公聰達,明於聴断,小大以情,不失枉直。是以刑不濫加,世無怨民。但其健飲,不即廃事。若論大酔,亦倶無知。決疑之才,何頼於酒?未聞皋繇甫侯子産釈之,酔乃折獄也。

書き下し

「千鍾百斛は、不経の言、不然の事、明者は信ぜず。夫れ聖人の異なるは才智よりし、形骸に至りては人を兼ぬる能わず、七尺・三丈の長、万倍の大有るに非ず。一日の飲、安んぞ能く是に至らん。仲尼は則ち性の変を畏れ、敢えて乱に及ばず。周公は則ち終日百拝し、肴乾き酒澄む。上聖すら戦戦として、猶お且つ斯くの若し、況んや庸人をや、能く悔い無からんや。漢高は天に応じ、運を承けて命を革む、向に醉わずと雖も、猶お当に蛇を斬るべし。于公は聡達にして、聴断に明らかに、小大情を以てし、枉直を失わず。是を以て刑は濫りに加えられず、世に怨民無し。但だ其の健飲、即ち事を廃せず。若し大醉を論ずれば、亦た倶に知る無し。疑いを決するの才、何ぞ酒に頼らん。未だ臯繇・甫侯・子産・釈之の、醉いて乃ち獄を折くを聞かず。

現代語訳

「千鍾や百斛というのは、常識外れの言葉で、あり得ない事柄であり、明らかな者は信じない。聖人が異なるのは才智によるのであって、体については人に勝ることはできず、七尺三丈の長さや万倍の大きさがあるわけではない。一日の飲酒で、どうしてそこまで至れようか。孔子は本性が変わることを畏れ、敢えて乱れるに至らなかった。周公は一日中何度も拝礼し、肴は乾き酒は澄んだままだった。最上の聖人ですら恐れ慎んでこのようであるのに、まして凡人が後悔なくいられようか。漢の高祖は天命に応じ、運を承けて命を革めたのであり、たとえ酔っていなかったとしても蛇を斬ったに違いない。于公は聡明で、裁きに明らかで、大小の事を情をもって見て、曲直を失わなかった。だから刑は濫りに加えられず、世に怨む民がなかった。ただ彼は大いに飲めたが、事を廃さなかっただけである。もし大いに酔う場合を論じれば、やはりみな知覚を失う。疑いを決める才が、どうして酒に頼ろうか。皋陶、甫侯、子産、釈之が酔って獄を裁いたとは聞いたことがない。

解説

反論者が挙げた偉人たちの事績を、一つずつ酒と切り離していきます。仲尼は「性の変を畏れ」、周公は「終日百拝し、肴乾き酒澄む」と、聖人ほど慎んだと読み直します。高祖が蛇を斬ったのは天命であって酔いのせいではなく、于公が名裁判官だったのは「疑いを決するの才」によるのだと、成功の原因を酒以外に戻します。相関と因果を分けて考える手つきです。「功績のある人が酒好きだった」ことは、「酒が功績を生んだ」ことを意味しない。有能な人の習慣を真似れば成果が出ると考える落とし穴への、短くて鋭い答えです。

この章句が説くこと

疑いを決するの才何ぞ酒に頼らん上聖すら戦戦として枉直を失わず因果相関

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る