抱朴子外篇 / 酒誡
或人難曰:「夫夏桀殷紂之亡,信陵漢惠之殘,聲色之過,豈唯酒乎!以其生患於古,而斷之於今,所謂以褒姒喪周,而欲人君廢六宮,以阿房之危秦,而使王者結草庵也。蓋聞昊天表酒旗之宿,坤靈挺空桑之化,燎祡員丘,瘞薶圻澤,祼鬯儀彜,寘降神祇,酒為禮也。千鍾百觚,堯舜之飲也。唯酒無量,仲尼之能也。姬旦酒肴不撤,故能制禮作樂。漢高婆娑巨醉,故能斬蛇鞠旅。於公引滿一斛,而斷獄益明。管輅傾仰三鬥,而清辯綺粲。揚雲酒不離口,而《太玄》乃就。子圉醉無所識,而霸功以舉。一瓶之醪傾,而三軍之眾悅。解毒之觴行,而盜馬之屬感。消憂成禮,策勛飲至,降神合人,非此莫以也。內速諸父,外將嘉賓,如淮如澠,《春秋》所貴。由斯言之,安可誡乎?」
新字:或人難曰:「夫夏桀殷紂之亡,信陵漢恵之残,声色之過,豈唯酒乎!以其生患於古,而断之於今,所謂以褒姒喪周,而欲人君廃六宮,以阿房之危秦,而使王者結草庵也。蓋聞昊天表酒旗之宿,坤霊挺空桑之化,燎祡員丘,瘞薶圻沢,祼鬯儀彜,寘降神祇,酒為礼也。千鍾百觚,堯舜之飲也。唯酒無量,仲尼之能也。姫旦酒肴不撤,故能制礼作楽。漢高婆娑巨酔,故能斬蛇鞠旅。於公引満一斛,而断獄益明。管輅傾仰三鬥,而清弁綺粲。揚雲酒不離口,而《太玄》乃就。子圉酔無所識,而覇功以舉。一瓶之醪傾,而三軍之衆悦。解毒之觴行,而盗馬之属感。消憂成礼,策勛飲至,降神合人,非此莫以也。内速諸父,外将嘉賓,如淮如澠,《春秋》所貴。由斯言之,安可誡乎?」
書き下し
或人難じて曰く、「夫れ夏桀・殷紂の亡、信陵・漢恵の残うは、声色の過ち、豈に唯だ酒のみならんや。其の古に患いを生ずるを以て、之を今に断たんとするは、所謂褒姒の周を喪ぼせしを以て、人君に六宮を廃せしめんと欲し、阿房の秦を危うくせしを以て、王者をして草庵を結ばしむるなり。蓋し聞く、昊天は酒旗の宿を表し、坤霊は空桑の化を挺し、柴を円丘に燎き、圻沢に瘞埋し、鬯を祼ぐ彝に儀し、神祇を寘降す、酒は礼たり。千鍾百觚は、堯舜の飲なり。唯だ酒は量無きは、仲尼の能なり。姫旦は酒肴撤せず、故に能く礼を制し楽を作る。漢高は婆娑として巨いに醉い、故に能く蛇を斬り旅を鞠む。于公は引満一斛にして、断獄益ます明らかなり。管輅は三斗を傾仰して、清弁綺粲たり。揚雲は酒口を離れず、而して《太玄》乃ち就る。子圉は醉いて識る所無く、而して霸功以て挙がる。一瓶の醪傾けて、三軍の衆悦ぶ。解毒の觴行われて、盗馬の属感ず。憂いを消し礼を成し、勲を策し飲至し、神を降し人を合わすは、此に非ざれば以て莫し。内には諸父に速び、外には嘉賓を将くは、淮の如く澠の如くなるは、《春秋》の貴ぶ所なり。斯に由りて之を言えば、安んぞ誡む可けんや」と。
現代語訳
ある人が反論して言う。「夏の桀や殷の紂の滅亡、信陵君や漢の恵帝の損なわれたことは、声色の過ちであって、どうして酒だけのせいであろうか。昔に患いが生じたからといって、それを今に断とうとするのは、いわゆる褒姒が周を滅ぼしたからと、君主に六宮を廃させようとし、阿房宮が秦を危うくしたからと、王者に草庵を結ばせようとするようなものである。聞くところでは、天は酒旗の星座を表し、大地の神は空桑の変化を現し、円丘で薪を焚き、方沢に供物を埋め、鬯酒を注ぐ礼器に儀礼を整え、神々を招き降ろす。酒は礼である。千鍾百觚は、堯舜の飲酒であった。ただ酒に限りがなかったのは、孔子の能であった。周公旦は酒肴を撤せず、だから礼を制し楽を作ることができた。漢の高祖はゆうゆうと大いに酔い、だから蛇を斬り軍を集めることができた。于公は一斛を飲み干して、裁判がますます明らかになった。管輅は三斗を傾けて、清らかな弁舌が美しく鮮やかであった。揚雄は酒が口を離れず、そして『太玄』が完成した。子圉は酔って何もわからなかったが、霸業が成った。一瓶の濁り酒を傾けて、三軍の兵が喜んだ。毒消しの杯が回されて、馬を盗んだ者たちが感激した。憂いを消し礼を成し、功を記し凱旋の宴を開き、神を降ろし人を和合させることは、これ以外にはできない。内には叔父伯父たちを招き、外には賓客を迎え、淮水や澠水のように酒があふれるのは、『春秋』が貴ぶところである。以上から言えば、どうして戒めるべきであろうか」。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
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