抱朴子外篇 / 弭訟
抱朴子答曰:「劉君憫德讓之淩替,疾民爭之損化,雖速我訟,室家不足,用和之貴,將遂淪胥。創讜言以拾世遺,建嘉謀以拯流遁,紛嘩之俗,將以此而易,無恥之風,將由此而移。彌綸情偽,固難間矣。誠經國之永法,至益之篤論也。洪以不敏,不識至理,造次承問,竊有疑焉。夫婚媾之結,義無逼迫,彼則簡擇而求,此則可意乃許,輕諾後悔,罪在女氏,食言棄信,與奪任情,嚴防峻制,未之能弭。今猥恣之,唯責裨娉倍貧者所憚也,豐於財者,則適其願矣。後所許者,或能富殖,助其裨娉,必所甘心。然則先家拱默,不得有言,原情論之,能無怨嘆乎?
新字:抱朴子答曰:「劉君憫徳譲之淩替,疾民争之損化,雖速我訟,室家不足,用和之貴,将遂淪胥。創讜言以拾世遺,建嘉謀以拯流遁,紛嘩之俗,将以此而易,無恥之風,将由此而移。弥綸情偽,固難間矣。誠経国之永法,至益之篤論也。洪以不敏,不識至理,造次承問,窃有疑焉。夫婚媾之結,義無逼迫,彼則簡択而求,此則可意乃許,軽諾後悔,罪在女氏,食言棄信,与奪任情,厳防峻制,未之能弭。今猥恣之,唯責裨娉倍貧者所憚也,豊於財者,則適其願矣。後所許者,或能富殖,助其裨娉,必所甘心。然則先家拱黙,不得有言,原情論之,能無怨嘆乎?
書き下し
抱朴子答えて曰く、「劉君は徳譲の淩替を憫れみ、民争の化を損なうを疾み、我を速くせしむると雖も訟えて、室家足らず、和を用うるの貴きも、将に遂に淪胥せんとす。讜言を創めて以て世の遺を拾い、嘉謀を建てて以て流遁を拯う。紛嘩の俗は、将に此を以て易り、無恥の風は、将に此に由りて移らん。情偽を弥綸すること、固より間し難し。誠に経国の永法、至益の篤論なり。洪は不敏を以て、至理を識らず、造次に問いを承け、竊かに疑い有り。夫れ婚媾の結びは、義として逼迫する無し、彼は則ち簡択して求め、此は則ち意に可なれば乃ち許す。軽諾して後に悔ゆるは、罪は女氏に在り、言を食み信を棄て、与奪情に任するは、厳防峻制も、未だ之を弭むる能わず。今猥りに之を恣にし、唯だ裨娉を倍にするを責むれば、貧者の憚る所にして、財に豊かなる者は、則ち其の願いに適う。後に許す所の者は、或いは能く富殖して、其の裨娉を助けば、必ず甘心する所ならん。然れば則ち先の家は拱默して、言有るを得ず、情を原ねて之を論ずれば、能く怨嘆する無からんや。
現代語訳
抱朴子は答えて言う。「劉君は徳と譲りの衰えを憐れみ、民の争いが教化を損なうのを憎み、たとえ訴訟に巻き込まれて家庭が立ちゆかなくなり、和を用いる貴さがついには滅びようとするとしても、直言を唱えて世の遺漏を拾い、善い謀りごとを立てて流れ去るものを救おうとしている。騒がしい風俗はこれによって改まり、恥を知らない風潮はこれによって移るであろう。人の真偽の機微を包み込むことは、もとより隙がない。まことに国を治める永久の法であり、きわめて有益な篤い論である。私は不敏であり、至高の道理を知らず、慌ただしく問いを受けて、ひそかに疑う点がある。そもそも婚姻の結びつきは、義として強いるものではなく、男の側は選んで求め、女の側は意に適えば許すものである。軽々しく承諾して後で悔やむのは、罪は女の家にあり、言葉を食み信を捨てて、与えたり奪ったりを気分に任せるのは、厳しい防ぎや制約をもってしてもまだ止められない。いま好き放題を許してただ補いの結納を倍にすることを求めれば、貧しい者はこれを恐れ、財に豊かな者は願いが叶うことになる。後に許した相手が、あるいは富を築いて、その補いを助けるなら、必ず喜んで受け入れるであろう。そうなれば先の家は黙って口を閉ざし、発言できず、その情を推しはかって論ずれば、怨嗟しないでいられようか。
解説
この章句が説くこと
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