政談 / 誓詞の事
國方なとにては組頭と云ふものは、其の一組の士を病氣も幼少も息災にて勤むるも皆同く支配し、偖江戶の勤めは別に番頭と云ふ者ありて、其の下知を受て勤むることにて、其の組頭の支配の內より番替を以て番頭下へつかはすとき、病氣幼少のものにあたれは一組の內より外の人を代りに出たし、その本人よりわり合はせをつかはす故、身上のならぬものは病氣幼少の代りを願ひて、ひたものつとむること御當地の取り人の如し、さてわり合ひを出たすこと故勝手に宜しからされは自から虛病は少きと承はる、箇樣なる仕方能く詮議せは有るへきことなり、兎角當時の誓詞は御作法のやうに成りて詮なきことなれは、一向に停止なりて唯大名の國なとへ御目付けに行くなと、其の外にも時にとりて當座きりの御用にばかり大切なることに誓詞仰せ付られ然るへき也、
新字:国方なとにては組頭と云ふものは、其の一組の士を病気も幼少も息災にて勤むるも皆同く支配し、偖江戸の勤めは別に番頭と云ふ者ありて、其の下知を受て勤むることにて、其の組頭の支配の内より番替を以て番頭下へつかはすとき、病気幼少のものにあたれは一組の内より外の人を代りに出たし、その本人よりわり合はせをつかはす故、身上のならぬものは病気幼少の代りを願ひて、ひたものつとむること御当地の取り人の如し、さてわり合ひを出たすこと故勝手に宜しからされは自から虚病は少きと承はる、箇様なる仕方能く詮議せは有るへきことなり、兎角当時の誓詞は御作法のやうに成りて詮なきことなれは、一向に停止なりて唯大名の国なとへ御目付けに行くなと、其の外にも時にとりて当座きりの御用にばかり大切なることに誓詞仰せ付られ然るへき也、
書き下し
国方なとにては組頭と云ふものは、其の一組の士を病気も幼少も息災にて勤むるも皆同く支配し、偖江戸の勤めは別に番頭と云ふ者ありて、其の下知を受て勤むることにて、其の組頭の支配の内より番替を以て番頭下へつかはすとき、病気幼少のものにあたれは一組の内より外の人を代りに出たし、その本人よりわり合はせをつかはす故、身上のならぬものは病気幼少の代りを願ひて、ひたものつとむること御当地の取り人の如し、さてわり合ひを出たすこと故勝手に宜しからされは自から虚病は少きと承はる、箇様なる仕方能く詮議せは有るへきことなり、兎角当時の誓詞は御作法のやうに成りて詮なきことなれは、一向に停止なりて唯大名の国なとへ御目付けに行くなと、其の外にも時にとりて当座きりの御用にばかり大切なることに誓詞仰せ付られ然るへき也、
現代語訳
国元などでは、組頭という者が、その一組の侍を、病気の者も幼少の者も、達者で勤める者も皆同じように支配し、さて江戸の勤めは別に番頭という者がいて、その指図を受けて勤める。その組頭の支配の内から番替えで番頭の下へ差し向けるとき、病気や幼少の者に当たれば、一組の内からほかの人を代わりに出し、その本人から割り合い(費用の分担金)を渡すので、身上の成り立たない者は病気や幼少の者の代わりを願い出て、ひたすら勤めることは、当地(江戸)の取り人のようである。そして割り合いを出すことになるので、暮らし向きによろしくないから、自然と仮病は少ないと聞いている。このようなやり方をよく詮議すれば、あるはずである。とにかく今の誓詞は作法のようになって意味のないことであるから、一切停止して、ただ大名の国元へ御目付として行くなど、そのほかにも時に応じて、その場限りの御用で大切なことにだけ誓詞を仰せ付けられるのがよい。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・始計篇法とは、曲制・官道・主用なり。
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『政談』國の締り一篇の發端の事総して国の治めと云ふは、譬へば碁盤の目を盛るが如し、目を盛らざる盤にては、何ほどの上手にても碁はうたれぬなり、洪水を静むるには、川筋を付るなり、川筋を付ざれば、禹王再び生れ出たまふとも、水を静むることは叶はざるなり、当時火災の事上の御世話にて塗屋土蔵造に成りたれば、火災自然と少なし、是明かなる証拠なり、其外の御政務には、此訳を申し立る人なきにや、是によりて和漢の古法を考へ愚案の量見を左に記す、
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『政談』制度の事制度の事は右所々に云ひたる如く、上下倹約を守り奢りなきやうにする仕方之に越ゆることなし、公儀に御倹約ありて世界の手本と遊はさるゝ御心にても、制度立てられさるときは下たるもの守るへきやうなく、唯々上には御物好きにても斯の如しと存することになり、いたらぬものは金をたむることか御物好きなりなとゝ取沙汰するまてにて下の為にはならす、上の御身上も制度立たぬときは御代も移りては亦上の御物好きにて皆破るゝことになること故、畢竟詮もなきことゝなるへし、
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『政談』地子錢の事京江戸大坂伏見なと地子銭を出さぬこと古法に違ふことなり、田舎の地には年貢を出さゞる地なし、都も古は斯の如し、百姓ばかりより年貢を取て、町人には取らぬは如何なる故によりて、町人のあいしらい箇様に結搆なることぞや、此起り明智日向守より起る、其の悪例を大閤用ひ玉ひて、大坂にても取られざるより江戸も其の通りになりたりと見えたり、明智は主君を弑したる人なり、信長公は御当家の御味方なり、然るに万代までも明智か恩徳を人に有りがたからすること如何なることぞや、又人夫を出たすに田地の高にて出すこと無理なり、田地よりは年貢を出す故外に何も出すべからず、二重に取るは脇道なり、是は百姓の仲間にて年貢にても運ぶは手前より運ふことなる故、年貢米の多少に応して割合はせするによりて、田地の高に応して人夫をあつることのあるを混して公儀よりあつる夫も其の法を用ひたるなり、公役の夫は人の数にて男子の二十才より五十九才まての男子を、一年に三ケ日に使ふこと是古聖人の法なり、唐朝租調庸の法は又別なり、日本の古は唐朝の法を用ひたり、されども其の時は十分一の年貢なり、今年貢の高く成りたるは租調庸を一つにして米にて取たるなるべけれは、古の租調庸の法は用ひがたかるべき也、
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「離婁の明、公輸子の巧も、規矩を以てせざれば、方員を成すこと能わず。師曠の聰も、六律を以てせざれば、五音を正すこと能わず。堯舜の道も、仁政を以てせざれば、天下を平治すること能わず。今、仁心仁聞有りて、而も民其の澤を被らず、後世に法る可からざる者は、先王の道を行わざればなり。故に曰く、『徒善は以て政を為すに足らず、徒法は以て自ら行わるること能わず。』詩に云う、『愆らず忘れず、舊章に率い由る。』先王の法に遵いて過つ者は、未だ之れ有らざるなり。聖人既に目の力を竭くし、之に繼に規矩準繩を以てす。以て方員平直を為すこと、用うるに勝う可からざるなり。既に耳力を竭くし、之に繼ぐに六律を以てす。五音を正すこと、用うるに勝う可からざるなり。既に心思を竭くし、之に繼ぐに人に忍びざるの政をを以てす。而うして仁天下を覆う。故に曰く、『高きを為すには、必ず丘陵に因り、下きを為すには、必ず川澤に因る。』政を為すに、先王の道に因らずんば、智と謂う可けんや。是を以て惟だ仁者のみ宜しく高位に在るべし。不仁にして高位に在るは、是れ其の惡を衆に播するなり。上に道揆無く、下に法守無く、朝は道を信ぜず、工は度を信ぜず、君子は義を犯し、小人は刑を犯して、國の存する所の者は幸いなり。故に曰く、『城郭完からず、兵甲多からざるは、國の災いに非ざるなり。田野辟けず、貨財聚まらざるは、國の害に非ざるなり。』上、禮無く、下、學無ければ、賊民興り、喪ぶること日無けん。詩に曰く、『天の方に蹶(くつがえす)えさんとする、然く泄泄すること無かれ。』泄泄とは、猶ほ沓沓のごときなり。君に事えて義無く、進退禮無く、言えば則ち先王の道を非る者は、猶ほ沓沓のごときなり。故に曰く、『難きを君に責む、之を恭と謂う。善を陳べ邪を閉づる、之を敬と謂う。吾が君能わずとす、之を賊と謂う。』」
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史記 循吏列伝楚の民の俗庳車を好む、王以為へらく庳車は馬に便ならずと、令を下して之を高くせしめんと欲す。相曰く、「令数々下れば、民従ふ所を知らず、不可なり。王必ず車を高くせんと欲せば、臣請ふ閭里に教へて其の梱を高くせしめん。車に乗る者は皆君子なり、君子は数々車を下ること能はず」と。王之を許す。居ること半歳にして、民悉く自ら其の車を高くす。此れ教へずして民其の化に従ひ、近き者は視て之に效ひ、遠き者は四面より望みて之に法るなり。
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