抱朴子外篇 / 行品
夫惟大明,玄鑒幽微,靈銓揣物,思灼沈昧,瞻山識璞,臨川知珠。士於難分之中,而無取舍之恨者,使臧否區分,抑揚鹹允。武丁姬文不獨治,而傅說呂尚不永棄,高莽宰嚭不得成其惡,弘恭石顯無所容其偽矣。其蓋取士之較略,選擇之大都耳。精微以求,存乎其人,固非毫翰之所備縷也。
新字:夫惟大明,玄鑒幽微,霊銓揣物,思灼沈昧,瞻山識璞,臨川知珠。士於難分之中,而無取舎之恨者,使臧否区分,抑揚鹹允。武丁姫文不独治,而傅説呂尚不永棄,高莽宰嚭不得成其悪,弘恭石顕無所容其偽矣。其蓋取士之較略,選択之大都耳。精微以求,存乎其人,固非毫翰之所備縷也。
書き下し
夫れ惟だ大明のみ、玄鑒幽微にして、霊銓揣物し、思い沈昧を灼らし、山を瞻て璞を識り、川に臨みて珠を知る。士の難分の中に於いて、取舎の恨み無き者は、臧否をして区分し、抑揚をして咸く允ならしむ。武丁・姫文は独り治めず、傅説・呂尚は永く棄てられず、高・莽・宰嚭は其の悪を成すを得ず、弘恭・石顕は其の偽を容るる所無けん。其れ蓋し士を取るの較略、選択の大都のみ。精微にして求むるは、其の人に存し、固より毫翰の備縷する所に非ざるなり。
現代語訳
ただ大いなる明のみが、奥深い鑑で微かなものを照らし、霊妙な秤で物を量り、思いは暗く沈んだものまで照らし、山を見て原石を識り、川に臨んで真珠を知る。士の見分けがたい中にあって取捨の悔いのない者は、善し悪しを区分し、褒貶を全て適切なものとする。殷の武丁や周の文王は独りで治めず、傅説や呂尚は永く捨て置かれず、趙高や王莽や宰嚭はその悪を成せず、弘恭や石顕はその偽りを容れる余地がなくなるであろう。以上は士を採る際のあらましであり、選択の大筋にすぎない。精細に求めることは、その人自身にかかっており、もとより筆と墨で細かく書き尽くせるものではない。
解説
この章句が説くこと
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