鬼谷子 / 権篇
故無目者、不可示以五色、無耳者、不可告以五音。故不可以往者、無所開之也、不可以來者、無所受之也。物有不通者、聖人故不事也。
新字:故無目者、不可示以五色、無耳者、不可告以五音。故不可以往者、無所開之也、不可以来者、無所受之也。物有不通者、聖人故不事也。
書き下し
故に目無き者には、示すに五色を以てすべからず。耳無き者には、告ぐるに五音を以てすべからず。故に以て往くべからざる者は、之を開く所無ければなり。以て來たるべからざる者は、之を受くる所無ければなり。物に通ぜざる者有らば、聖人故に事とせざるなり。
現代語訳
だから目のない者に五色を示すことはできない。耳のない者に五音を告げることはできない。だから、こちらから行けないのは、相手に開くところがないからである。相手が来られないのは、受け取るところがないからである。物事に通じないところがある相手には、聖人はもとよりそれを事としない。
解説
目のない相手に色は見せられない。冷たく響きますが、能力の話ではなく受け口の話です。相手に開くところがなく、受け取るところがなければ、こちらが何をしても届かない。そして「聖人故に事とせざるなり」——だから相手にしない。摩篇の「通ずる所の者を擇びて説く」と同じ結論です。この書は、説得の努力を無限に続けることを勧めません。届かない相手には届かない、と割り切る。時間は有限で、届く相手にも同じだけ必要だからです。ただし見誤りの危険もあります。受け口がないのか、こちらの示し方が色でしかないのか。
この章句が説くこと
目無き者に五色を示すべからず之を受くる所無し見極め選択説得限界
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