抱朴子外篇 / 審舉
昔吳土初附,其貢士見偃以不試。今太平已近四十年矣,猶復不試,所以使東南儒業衰於在昔也。此乃見同於左衽之類,非所以別之也。且夫君子猶愛人以禮,況為其愷悌之父母邪!法有招患,令有損化,其此之謂也。今貢士無復試者,則必皆修飾馳逐,以競虛名,誰肯復開卷受書哉?所謂饒之適足以敗之者也。「自有天性好古,心悅藝文。學不為祿,味道忘貧,若法高卿周生烈者。學精不仕徇乎榮利者,萬之一耳。至於寧越倪寬黃霸之徒,所以強自篤勵於典籍者,非天性也,皆由患苦困瘁,欲以經術自拔耳。向使非漢武之世,則朱買臣嚴助之屬,亦未必讀書也。今若取富貴之道,幸有易於學者,而復素無自然之好,豈肯復空自勤苦,執灑埽為諸生,遠行尋師問道者乎?
新字:昔呉土初附,其貢士見偃以不試。今太平已近四十年矣,猶復不試,所以使東南儒業衰於在昔也。此乃見同於左衽之類,非所以別之也。且夫君子猶愛人以礼,況為其愷悌之父母邪!法有招患,令有損化,其此之謂也。今貢士無復試者,則必皆修飾馳逐,以競虚名,誰肯復開巻受書哉?所謂饒之適足以敗之者也。「自有天性好古,心悦芸文。学不為禄,味道忘貧,若法高卿周生烈者。学精不仕徇乎栄利者,万之一耳。至於寧越倪寛黄覇之徒,所以強自篤励於典籍者,非天性也,皆由患苦困瘁,欲以経術自抜耳。向使非漢武之世,則朱買臣厳助之属,亦未必読書也。今若取富貴之道,幸有易於学者,而復素無自然之好,豈肯復空自勤苦,執灑埽為諸生,遠行尋師問道者乎?
書き下し
昔、呉の土初めて附き、其の貢士は偃めらるるに試みざるを以てせり。今太平已に近きこと四十年なるも、猶お復た試みず、東南の儒業の在昔より衰うる所以なり。此れ乃ち左衽の類に同じくせられ、之を別つ所以に非ず。且つ夫れ君子すら猶お人を愛するに礼を以てす、況んや其の愷悌の父母たるをや。法に患いを招く有り、令に化を損なう有り、其れ此の謂なり。今貢士に復た試みる者無くんば、則ち必ず皆な修飾馳逐して、以て虚名を競わん、誰か肯えて復た巻を開き書を受けんや。所謂之を饒かにして適に以て之を敗る者なり。「自ずから天性古を好み、心藝文を悦ぶ有り。学は禄の為にせず、道を味わいて貧を忘る、高卿・周生烈を法る若き者あり。学精しくして仕えず栄利に徇う者は、万の一のみ。寧越・倪寛・黄霸の徒に至るまで、強いて自ら典籍に篤厲する所以の者は、天性に非ず、皆な患苦困瘁に由り、経術を以て自ら抜かんと欲するのみ。向に漢武の世に非ずんば、則ち朱買臣・厳助の属も、亦た未だ必ずしも書を読まず。今若し富貴を取るの道、幸いに学ぶより易き者有り、復た素より自然の好み無くんば、豈に肯えて復た空しく自ら勤苦し、灑掃を執りて諸生と為り、遠行して師を尋ね道を問う者あらんや。
現代語訳
昔、呉の地が初めて帰順したとき、その貢士は試験をしない扱いで遇された。いま太平になって四十年近くになるのに、なおも試験をしないのは、東南の儒学が以前より衰えた理由である。これは左前に衣を着る異民族の類と同じに扱うことであり、区別すべきではない。そもそも君子でさえ人を愛するには礼をもってし、まして和やかな父母のような存在ならなおさらである。法に患いを招くものがあり、令に教化を損なうものがあるというのは、このことだ。いま貢士に再び試験する者がなければ、必ずみな飾り立てて走り回り、虚名を競い、誰が書物を開き本を受けるだろうか。いわゆる、豊かにして(甘やかして)かえって損なうというものである。「天性として古を好み、心に学芸を喜ぶ者もいる。学は俸禄のためにせず、道を味わって貧しさを忘れる、高卿・周生烈に倣う者のようにである。学が精しくても仕えずに栄利に走る者は、万に一人である。寧越・倪寛・黄霸のような者まで、強く典籍に励んだのは、天性ではなく、皆な苦しみや困窮のために、経術によって自ら抜け出そうとしたからである。もし漢武帝の世でなければ、朱買臣や厳助の類も、必ずしも書を読まなかっただろう。いま、富貴を取る道が学ぶことより易しいものがあり、しかも元から自然の好みがなければ、どうして空しく自ら苦労し、掃除をして学生となり、遠くへ師を訪ねて道を問う者がいようか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』兼愛下且つ惟だ泰誓のみ然りと為すにあらず、禹誓と雖も即ち亦た猶お是のごときなり。禹曰く、「濟濟たる有衆、咸な朕が言を聴け。惟だ小子のみ敢えて亂を稱するを行うに非ず。蠢たる茲の有苗、天の罰を用う。若し予れ既に爾の羣を率い、羣諸に對して以て有苗を征せん」と。禹の有苗を征するや、富貴を重ね、福禄を干め、耳目を樂しましむるを求むるに非ざるなり。以て天下の利を興し、天下の害を除かんことを求むるなり。即ち此れ禹の兼なり。子墨子の謂う所の兼なる者と雖も、禹に於て求めたり。
-
『墨子』非命下是の故に子墨子曰く、今、天下の君子の文章を為り言談を出だすは、将に其の頰舌を勤勞し、其の唇呡を利せんとするに非ざるなり。中に實に将に其の國家邑里萬民の刑政を為さんと欲する者なり。今や王公大人の早く朝し晏く退き、獄を聴き政を治め、終朝、均しく分かちて敢えて怠倦せざる所以の者は、何ぞや。曰く、彼れ以為えらく强ければ必ず治まり、强からざれば必ず亂れ、强ければ必ず寕く、强からざれば必ず危うしと。故に敢えて怠倦せず。
-
司馬法・嚴位凡そ人は、愛に死し、怒りに死し、威に死し、義に死し、利に死す。
-
論語・憲問篇微生畝、孔子に謂いて曰く、「丘、何為れぞ是れ栖栖たる者ぞ。乃ち佞を為すこと無からんや。」孔子曰く、「敢えて佞を為すに非ざるなり、固を疾むなり。」
-
『墨子』非攻下則ち夫の攻伐を好むの君、又た其の説を飾りて曰く、我れ金玉子女壤地を以て足らずと為すに非ざるなり。我れ義の名を以て天下に立て、徳を以て諸侯を來さんと欲するなり、と。子墨子曰く、今、若し能く義の名を以て天下に立て、徳を以て諸侯を來す者有らば、天下の服すること立ちどころに待つ可きなり。夫れ天下、攻伐に處ること久し。譬うるに猶お傅子の馬を為るが然り。
-
『墨子』耕柱巫馬子、子墨子に謂いて曰く、「子は天下を兼愛するも、未だ利ありと云わず。我れは天下を愛せざるも、未だ賊すと云わず。功、皆な未だ至らざるに、子、何ぞ獨り自ら是として我を非とするや」と。子墨子曰く、「今、此に燎ゆる者有り。一人は水を奉じて将に之に灌がんとし、一人は火を摻りて将に之を益さんとす。功、皆な未だ至らざるも、子、何れをか二人に貴ばん」と。巫馬子曰く、「我れは彼の水を奉ずる者の意を是とし、夫の火を摻る者の意を非とす」と。子曰く、「吾れも亦た吾が意を是とし、子の意を非とするなり」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る