抱朴子外篇 / 用刑
秦之初興,官人得才。衛鞅由余之徒,式法於內;白起王翦之倫,攻取於外。兼弱攻昧,取威定霸,吞噬四鄰,咀嚼群雄,拓地攘戎,龍變龍視,實賴明賞必罰,以基帝業。降及杪季,驕於得意,窮奢極泰。加之以威虐,築城萬里,離宮千余,鍾鼓女樂,不徒而具。驪山之役,太半之賦,閭左之戍,坑儒之酷,北擊獫狁,南征百越,暴兵百萬,動數十年。天下有生離之哀,家戶懷怨曠之嘆。白骨成山,虛祭布野。徐福出而重號口兆之讎,趙高入而屯豺狼之黨。天下欲反,十室九空。其所以亡,豈由嚴刑?此為秦以嚴得之,非以嚴失之也。
新字:秦之初興,官人得才。衛鞅由余之徒,式法於内;白起王翦之倫,攻取於外。兼弱攻昧,取威定覇,呑噬四鄰,咀嚼群雄,拓地攘戎,竜変竜視,実頼明賞必罰,以基帝業。降及杪季,驕於得意,窮奢極泰。加之以威虐,築城万里,離宮千余,鍾鼓女楽,不徒而具。驪山之役,太半之賦,閭左之戍,坑儒之酷,北撃獫狁,南征百越,暴兵百万,動数十年。天下有生離之哀,家戸懐怨曠之嘆。白骨成山,虚祭布野。徐福出而重号口兆之讎,趙高入而屯豺狼之党。天下欲反,十室九空。其所以亡,豈由厳刑?此為秦以厳得之,非以厳失之也。
書き下し
秦の初めて興るや、官人は才を得、衛鞅・由余の徒は、法を内に式り、白起・王翦の倫は、攻め取ること外に在り。弱を兼ね昧を攻め、威を取り覇を定め、四鄰を呑噬し、群雄を咀嚼し、地を拓き戎を攘い、龍のごとく変じ龍のごとく視る。実に明賞必罰に頼りて、以て帝業を基す。降りて杪季に及び、得意に驕り、奢を窮め泰を極む。之に加うるに威虐を以てし、城を万里に築き、離宮千余、鍾鼓女楽は、徙さずして具わる。驪山の役、太半の賦、閭左の戍、坑儒の酷、北は獫狁を撃ち、南は百越を征し、兵を暴すこと百万、動もすれば数十年。天下に生離の哀有り、家戸に怨曠の嘆きを懐く。白骨山を成し、虚祭野に布く。徐福出でて重ねて口兆の讎を号し、趙高入りて豺狼の党を屯す。天下反せんと欲し、十室九空なり。其の亡ぶ所以は、豈に厳刑に由らんや。此れ秦は厳を以て之を得て、厳を以て之を失うに非ざるなり。
現代語訳
秦が興り始めたころは、官職に才ある者を得て、衛鞅や由余のような者は国内で法を定め、白起や王翦のような者は国外で攻め取った。弱い者を併せ、暗い者を攻め、威を取り覇を定め、四方の隣国を呑み、群雄を噛み砕き、土地を拓き戎を退け、龍のように変じ龍のように視た。まことに賞を明らかにし罰を必ずすることによって、帝業の基を築いたのである。末の時代に降ると、得意に驕って、奢りと贅沢を極めた。これに威虐を加え、万里に城を築き、千あまりの離宮を設け、鐘鼓や女楽は、移さなくても備わっていた。驪山の工事、収穫の大半を取る課税、里門の左側に住む貧民の辺境の守備、儒者の生き埋め、北は匈奴を撃ち、南は百越を征し、兵を野にさらすこと百万、しばしば数十年に及んだ。天下には生き別れの哀しみがあり、家々には夫婦が離れた嘆きがあった。白骨は山をなし、空の祭りが野に広がった。徐福が出て(口兆の讎を重ねて号び)、趙高が入ると豺狼の仲間が集まった。天下は反しようとし、十軒のうち九軒が空になった。その滅びた理由は、どうして厳刑にあろうか。秦は厳によって天下を得たのであって、厳によって失ったのではない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『論語と算盤』成敗と運命・成敗は身に残る糟粕世の中には悪運が強くて成功したかのごとくに見える人がないでもない。しかし人を見るに、単に成功とかまたは失敗とかを標準とするのが根本的誤りではあるまいか。人は人たるの務めを標準として一身の行路を定めねばならぬので、いわゆる失敗とか成功とかいうものは問題外で、仮に悪運に乗じて成功したものがあろうが、善人が運拙くして失敗した者があろうが、それを見て失望したり悲観したりするには及ばないではないか。成功や失敗のごときは、ただ丹精した人の身に残る糟粕のようなものである。現代の人の多くは、ただ成功とか失敗とかいうことのみを眼中に置いて、それよりももっと大切な天地間の道理を見ていない。彼らは実質を生命とすることが出来ないで、糟粕に等しい金銭財宝を主としているのである。人はただ人たるの務めを完うすることを心掛け、自己の責務を果たし行いて、もって安んずることに心掛けねばならぬ。
-
『論語と算盤』成敗と運命・失敗らしき成功支那で聖賢といえば、堯舜がまず初まりで、それから禹湯文武周公孔子となるのであるが、堯舜とか禹湯とか文武周公とかいう人達は、同じ聖賢の中でも、いずれも皆今の言葉でいう成功者で、生前においてつとに既に見るに足るべき治績を挙げ、世人の尊崇を受けて死んだ人々である。これに反し、孔夫子は今の言葉のいわゆる成功者ではない。生前は無辜の罪に遭って陳蔡の野に苦しめられたり、随分、艱難ばかりをなめられたもので、これという見るべき功績とても社会上にあった訳ではない。しかし千載の後、今日になってみると、生前に治績を挙げた成功者の堯舜禹湯文武周公よりも、一見その全生涯が失敗不遇のごとくに思われた孔子を崇拝する者の方がかえって多く、同じく聖賢の内でも、孔夫子が最も多く尊崇せられている。
-
孫子・用間篇先知は、鬼神に取るべからず、事に象るべからず、度に験すべからず、必ず人に取り、敵の情を知る者なり。
-
言志四録・言志後録 第二十四条 真の功名は道徳真の功名は、道徳便ち是れなり。真の利害は、義理便ち是れなり。
-
『論語と算盤』成敗と運命・失敗らしき成功これらの事実より推して考えると、世のいわゆる成功は必ずしも成功でなく、世のいわゆる失敗は必ずしも失敗でないということがすこぶる明瞭になるが、会社事業その他一般営利事業のごとき、物質上の効果を挙げるのを目的とするものにあっては、もし失敗すると、出資者その他の多くの人にも迷惑を及ぼし多大の損害を掛ける事があるから、何が何でも成功するように努めねばならぬものであるが、精神上の事業においては、成功を眼前に収めようとするごとき浅慮をもってすれば、世の糟を喫するがごとき弊に陥って、毫も世道人心の向上に貢献するを得ず、永遠の失敗に終わるものである。例えば新聞雑誌のごときものを発行して、一世を覚醒せんとしても、この目的を達するがために時流に逆らって反抗すれば、時にあるいは奇禍を買って、世のいわゆる失敗に陥り、苦い経験をなめねばならぬごとき場合がないとも限らぬのである。しかしそれは決して失敗ではない。
-
『碧巌録』第六十則雲門は委曲して人の為にし、雪竇は截径に人の為にす。所以に「化して竜と為る」を撥却して、恁麼に道ふことを消ひず、只だ是れ「拄杖子乾坤を呑む」と。雪竇の大意は人の情解を免れしむ。更に道ふ、「徒らに説く桃花浪奔ると」。更に必ずしも化して竜と為らず。蓋し禹門に三級の浪有り、毎に三月に至れば桃花浪漲る。魚能く水に逆らひ、浪を躍り過ぐる者は即ち化して竜と為る。雪竇道ふ、縦ひ化して竜と為るも、亦た是れ徒らに説くのみと。「尾を焼く者は雲を拏み霧を攫むに在らず」。魚禹門を過ぐれば、自ら天火有りて其の尾を焼き、雲を拏み霧を攫んで去る。雪竇の意に道ふ、縦ひ化して竜と為るも、亦た雲を拏み霧を攫むに在らずと。「腮を曝す者は何ぞ必ずしも胆を喪ひ魂を亡はん」。清涼の疏の序に云く、「積行の菩薩すら、尚ほ乃ち腮を竜門に曝す」と。大意は華厳の境界の小徳小智の造詣する所に非ざることを明らむ。猶ほ魚の竜門を過ぐるに透不得なる者の、額に点して回り、死水沙磧の中に困しんで、其の腮を曝すが如し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る