抱朴子外篇 / 欽士
是以明主旅束帛於窮巷,揚滯羽於瘁林,飛翹車於河梁,辟四門而不倦,不吝金璧,不遠千里,不憚屈己,不恥卑辭,而以致賢為首務,得士為重寶。舉之者受上賞,蔽之者為竊位。故公旦執贄於白屋,秦邵拜昌於張生。鄒子涉境,而燕君擁彗;莊周未食,而趙惠竦立。晉平接亥唐,腳痹而坐不敢正;齊任之造稷丘,雖頻繁而不辭其勞。楚王受笞於保申,□簡去甲於公廬,彼雖降高抑滿,以貴下賤,終亦並目以遠其明,假耳以廣其聰。龍騰虎踞,宜其然也。
新字:是以明主旅束帛於窮巷,揚滞羽於瘁林,飛翹車於河梁,辟四門而不倦,不吝金璧,不遠千里,不憚屈己,不恥卑辞,而以致賢為首務,得士為重宝。舉之者受上賞,蔽之者為窃位。故公旦執贄於白屋,秦邵拝昌於張生。鄒子渉境,而燕君擁彗;荘周未食,而趙恵竦立。晋平接亥唐,脚痹而坐不敢正;斉任之造稷丘,雖頻繁而不辞其労。楚王受笞於保申,□簡去甲於公廬,彼雖降高抑満,以貴下賤,終亦並目以遠其明,仮耳以広其聰。竜騰虎踞,宜其然也。
書き下し
是を以て明主は束帛を窮巷に旅ね、滞羽を瘁林に揚げ、翹車を河梁に飛ばし、四門を辟きて倦まず、金璧を吝まず、千里を遠しとせず、己を屈するを憚らず、卑辞を恥じず、而して賢を致すを首務と為し、士を得るを重宝と為す。之を挙ぐる者は上賞を受け、之を蔽う者は位を窃むと為す。故に公旦は贄を白屋に執り、秦邵は昌を張生に拝す。鄒子の境を渉るや、燕君は彗を擁し、荘周未だ食わざるに、趙恵は竦立す。晋平は亥唐に接し、脚痺れて坐して敢えて正しくせず、斉任は稷丘に造り、頻繁なりと雖も其の労を辞せず。楚王は保申に笞を受け、□簡は甲を公廬に去る。彼れ降高抑満し、貴を以て賤に下ると雖も、終に亦た目を並べて以て其の明を遠くし、耳を仮りて以て其の聡を広む。龍騰り虎踞るは、宜なり其の然るや。
現代語訳
こういうわけで明君は、束ねた絹を寒村の路地に贈り、世に埋もれた者を落ちぶれた林から引き上げ、迎えの高車を川の橋まで走らせ、四方の門を開いて倦むことなく、金や璧を惜しまず、千里の道も遠しとせず、自分を屈することをはばからず、へりくだった言葉を恥じず、賢者を招くことを第一の務めとし、士を得ることを最大の宝とする。賢者を推挙した者は上賞を受け、これを覆い隠した者は地位を盗む者とされる。だから周公旦は粗末な家で手土産を捧げ、秦邵は昌において張生に拝礼した。鄒衍が国境を越えると燕の君主は箒を抱えて先払いをし、荘周がまだ食事をしないうちに趙の恵王は立ちすくんだ。晋の平公は亥唐に会うと、脚がしびれても姿勢を崩して座ろうとはせず、斉の任は稷丘を訪ねて、何度足を運んでもその労を辞さなかった。楚王は保申から笞を受け、□簡は鎧を公の廬で脱いだ。彼らは高い身分を降り満ちた気持ちを抑え、貴い身で賤しい者にへりくだったが、結局は多くの目で自分の視野を遠くし、他人の耳を借りて聡さを広げたのである。龍が躍り虎がうずくまる勢いを得たのは、当然のことだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』襄公三十年 無欲は実に難し誰か敢へて子を犯さん。子善く之を相けよ。國は小なること無し。小にして能く大に事ふれば、國乃ち寬なり」と。子產政を為す。伯石に事有り、賂ひて之に邑を與ふ。子大叔曰く、「國は皆其の國なり。奚ぞ獨り賂ふや」と。子產曰く、「欲無きは實に難し。皆其の欲を得て、以て其の事に從ひ、其の成を要む。我の成すに非ず、其れ人に在らんや。何ぞ邑を愛しまん。邑將た焉くにか往かん」と。子大叔曰く、「四國を若何せん」と。子產曰く、「相違ふに非ずして、相從ふなり。四國何をか尤めん。鄭書に之有りて曰く、『國家を安定するには、必ず大を焉れ先にす』と。姑く先づ大を安んじ、以て其の歸する所を待たん」と。既にして伯石懼れて邑を歸す。卒に之を與ふ。伯有既に死し、大史をして伯石に命じて卿と為さしむ。辭す。大史退けば、則ち命を請ふ。復た之に命ず。又辭す。是くの如きこと三たびにして、乃ち策を受けて入りて拜す。
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説苑・說叢賢を欲する者は人に下るに如くは莫く、財を貪る者は身を全うするに如くは莫し。財は義の高きに如かず、勢は德の尊きに如かず。父は無益の子を愛する能わず、君は不軌の民を愛する能わず。君は無功の臣を賞する能わず、臣は無德の君に死する能わず。善く御する者を問わば馬に如くは莫く、善く治むる者を問わば民に如くは莫し。卑を以て尊と為し、屈を以て伸と為すは、聖人の因る所、上は天に法る。
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人物志・釋爭卑讓降下は、茂進の遂ぐる路なり。矜奮侵陵は、毀塞の険しき途なり。
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説苑・貴德斉の桓公北のかた山戎氏を伐つ、其の道燕を過ぐ、燕君逆へて境を出づ、桓公管仲に問ひて曰く、「諸侯相逆ふるは固より境を出づるか」と。管仲曰く、「天子に非ざれば境を出でず」と。桓公曰く、「然らば則ち燕君畏れて礼を失へるなり、寡人不道にして燕君をして礼を失はしむ」と、乃ち燕君の至れる所の地を割きて以て燕君に与ふ。諸侯之を聞き、皆斉に朝す。詩に云く、「爾の位を靖恭し、是の正直を好めば、神之を聴き、爾に景福を介けん」と。此を之れ謂ふなり。
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説苑・尊賢魏の文侯、中山より安邑に奔命す。田子方之に従う。夫子撃(太子撃)之に過ぐるに、車を下りて趨る。子方坐乗すること故の如し。太子に告げて曰く、「我が為に君に請え、我が朝歌するを待て」と。太子説ばず、因りて子方の為に曰く、「貧窮なる者の人に驕るを識らざるか、富貴なる者の人に驕るをや」と。子方曰く、「貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや。人主人に驕りて其の国を亡ぼす、吾未だ国を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。大夫人に驕りて其の家を亡ぼす、吾未だ家を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。貧窮なる者若し意を得ずんば、履を納れて去る、安くに往くとして貧窮を得ざらんや。貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや」と。太子及び文侯、田子方の語を道う。文侯歎じて曰く、「吾が子の故に非ずんば、吾安んぞ賢人の言を聞くを得んや。吾子方に下るに行を以てし、得て之を友とせり。吾子方を友としてより、君臣益々親しみ、百姓益々附す、吾是を以て士を友とするの功を得たり。我中山を伐たんと欲するに、吾武を以て楽羊に下る、三年にして中山我に献ぜらる、我是を以て武を有つの功を得たり。吾此に少しく進む所以の者は、吾未だ智を以て我に驕る者を見ざればなり。若し智を以て我に驕る者を得ば、豈古の人に及ばざらんや」と。
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説苑・尊賢孔子閒居して、喟然として歎じて曰く、「銅鞮伯華にして死する無くんば、天下其れ定まる有らん」と。子路曰く、「願わくは其の人と為りの何如なるかを聞かん」と。孔子曰く、「其の幼きや敏にして学を好み、其の壮んなるや勇有りて屈せず、其の老いたるや道有りて能く以て人に下る」と。子路曰く、「其の幼きや敏にして学を好むは則ち可なり、其の壮んなるや勇有りて屈せざるは則ち可なり。夫れ道有らば又誰にか下らんや」と。孔子曰く、「由よ、知らざるなり。吾之を聞く、衆を以て寡を攻めて消えざる無く、貴を以て賤に下りて得ざる無しと。昔周公旦天下の政を制するに在りて士七十人に下る、豈道無からんや。士を得んと欲するの故なり。夫れ道有りて能く天下の士に下る、君子なるかな」と。
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