抱朴子外篇 / 君道
夫巍巍之稱,不可驕吝構;而東嶽之封,未易以恣欲修也。上聖兼策載馳,猶懼不逮前;而庸主緩步按轡,而自以為過之。或於安而思危,或在崄而自逸。或功成治定,而匪怠匪荒,或綴旒累卵,而不覺不寤。不有辛癸之沒溺,曷用貴欽明之高濟哉?念茲在茲,庶乎庶乎!
新字:夫巍巍之称,不可驕吝構;而東嶽之封,未易以恣欲修也。上聖兼策載馳,猶懼不逮前;而庸主緩歩按轡,而自以為過之。或於安而思危,或在崄而自逸。或功成治定,而匪怠匪荒,或綴旒累卵,而不覚不寤。不有辛癸之没溺,曷用貴欽明之高済哉?念茲在茲,庶乎庶乎!
書き下し
夫れ巍巍の称は、驕吝を以て構う可からず、東嶽の封は、未だ恣欲を以て修め易からず。上聖は策を兼ねて載ち馳せ、猶お前に逮ばざるを懼る。庸主は緩やかに歩み轡を按え、自ら之に過ぎたりと以う。或いは安きに於いて危うきを思い、或いは険しきに在りて自ら逸す。或いは功成り治定まりて、怠らず荒まず、或いは綴旒累卵にして、覚らず寤めず。辛癸の没溺有らざれば、曷ぞ欽明の高済を貴ぶを用いんや。茲れを念い茲れに在り、庶わくは庶わくは。
現代語訳
そもそも、仰ぎ見る偉大さという称賛は、驕りと吝嗇によって築けるものではなく、泰山での封禅の礼も、欲をほしいままにして行うことはできない。最上の聖人は策を兼ね備えて走り続け、それでも前人に及ばないことを恐れた。凡庸な君主は、ゆるやかに歩み手綱を押さえて、自分はすでに越えていると思う。ある者は安らかなときに危うさを思い、ある者は険しいところにいて自ら安逸する。ある者は功が成り治が定まっても、怠らず荒まず、ある者は旗の房のように揺れ卵を積み重ねるほど危ういのに、気づかず目覚めない。桀や紂の没落がなければ、どうして敬い明らかなる者の高い救済を貴ぶ理由があろうか。これを念じ、これに在って、どうか、どうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『益軒家訓』聖学須勤人至て愚なりといへども、一事の善なきことあたはず。故に愚人の言をも理あるは取用ふべし。われを智ありとする者は必愚人なり。我を善なりとする者はかならず悪人なり。悪を知るものは大悪にあらず。人を侮るものは、必天の咎あり、人のうらみあり。我に学問知恵芸能ありとも、是皆わが分内の事なれば、矜べき事にあらず。かならず是を自慢し、人を侮るべからず。古の君子は、聰明叡智なれども、これを守るに愚を以てす。況や末世の凡人、僅なる才能にほこるは、かた腹いたき事なり。甚卑し。我に善あり能ありとも、自ら衒ひ、みづから褒むべからず。其善に矜ればその善を喪ふ、其能にほこれば其能をうしなふ。自慢するをほこるといふは、矜はほこるとよめり。
-
『大和俗訓』巻之一・為学上一学ぶ人は、唯我が知のくらく、我が徳のすすまざる事をうれふべし。われに学問才智技芸ありとも、我を知ありとし、我が才にほこる心あるべからず。人各知あり、又長ずる所あり。人をおろかにし侮るべからず。諫をふせぎ、我を是とすべからず。己が不善をすてて人の善にしたがひ、人の善を用ひて我が身に行ふべし。我を知ありとするものは悪徳なり、いましむべし。其愚を知るものは大愚にあらず。其過を知るものは大なる過なし。故に高慢にして己をゆるすものは、必愚人なり。いかんとなれば、自ら知るの明なく、知をひらき善にすすむの基なくして、終に愚にてをはる。人をあなどる者は、必天のとがめあり、人のせめあり、人をそしる者は、必人にそしらる。
-
尚書・周官位は驕るを期せずして驕り、祿は侈るを期せずして侈る。恭儉は惟れ德なり、爾の偽を載すこと無かれ。
-
尚書・仲虺之誥自ら師を得る者は王たり、人(ひと)己(おのれ)に若(し)く莫(な)しと謂(い)う者は亡ぶ。
-
『酔古堂剣掃』集奇・憐と傲の二字憐の一字は、吾受くるを樂しまず、 蓋し才有りて徒らに人の憐みを受くるは、無用知るべし。 傲の一字は、吾敢へて矜らず、 蓋し才有りて徒らに以て傲に資するは、無用知るべし。
-
『十善法語』巻第七・不兩舌戒経中ニ袈裟段四寸ヲ得レハ。神祇守護ストアル。安居自恣等皆此法アリテ成就スル。此法如法ナレバ戒徳漸次ニ成就スルト云コトシヤ。食事此法有テ成就スル。薬事此法アリテ成就スル。経ヲ誦スルニ同業同誦ノ法アリ。経ヲ受ルニ逐句随受ノ法アリ。行道ニ賢聖黙然ト法語トノ法アリ。二六時中ミナ此法アリテ。此ヲ守ル者ハ賢聖ノ地位ニモ到ルト云コトシヤ。煩悩無明ノ悪法ニ惑ハサレヌト云コトシヤ。貴姓出家モ其種族ニホコラヌ。大富饒財モ其富有ニホコラヌ。博識多聞モ其智解ニホコラヌ。上座ノ教詰。師僧ノ教誠。仏世ヨリ相承テ今日ニ至ルシヤ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る