尚書 / 周官
位不期驕,祿不期侈。恭儉惟德,無載爾偽
新字:位不期驕,禄不期侈。恭倹惟徳,無載爾偽
書き下し
位は驕るを期せずして驕り、祿は侈るを期せずして侈る。恭儉は惟れ德なり、爾の偽を載すこと無かれ。
現代語訳
地位が上がれば期せずして驕りが生まれ、俸禄が増えれば期せずして贅沢に流れる。慎み深く倹しくあることこそが徳であり、自分を偽ることがあってはならない。
解説
地位や収入が上がると、本人が望んでいなくても自然に驕りや浪費が忍び込んでくると説く一句である。誰しも順調なときほど、自分だけは変わらないと思いがちだが、周囲の扱いや暮らしぶりが変われば、気づかぬうちに振る舞いも変わっていくものである。だからこそ意識して慎ましさを保つ必要があり、うわべを取り繕って謙虚を演じるのではなく、実際の暮らし方や言動を伴わせることが求められる。恵まれた状況ほど、自分を律する意識を強めておきたい。なお、本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。
この章句が説くこと
謙虚自制慢心
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