抱朴子外篇 / 逸民
逸民答曰:「子可謂守培螻,玩狐丘,未登閬風而臨雲霓;玩瀅汀,遊潢洿,未浮南溟而涉天漢。凡所謂誌人者,不必在乎祿位,不必須乎勛伐也。太上無己,其次無名,能振翼以絕群,騁跡以絕軌,為常人所不能為,割近才所不能割,少多不為凡俗所量,恬粹不為名位所染,淳風足以濯百代之穢,高操足以激將來之濁。何必紆朱曳紫,服冕乘軺,被犧牛之文繡,吞詹何之香餌,朝為張天之炎熱,夕成冰冷之季灰!
新字:逸民答曰:「子可謂守培螻,玩狐丘,未登閬風而臨雲霓;玩瀅汀,遊潢洿,未浮南溟而渉天漢。凡所謂誌人者,不必在乎禄位,不必須乎勛伐也。太上無己,其次無名,能振翼以絶群,騁跡以絶軌,為常人所不能為,割近才所不能割,少多不為凡俗所量,恬粋不為名位所染,淳風足以濯百代之穢,高操足以激将来之濁。何必紆朱曳紫,服冕乗軺,被犠牛之文繍,呑詹何之香餌,朝為張天之炎熱,夕成冰冷之季灰!
書き下し
逸民答えて曰く、「子は培螻を守り、狐丘を玩び、未だ閬風に登りて雲霓に臨まず、瀅汀を玩び、潢洿に遊び、未だ南溟に浮かびて天漢を渉らずと謂う可し。凡そ志人と謂う所の者は、必ずしも禄位に在らず、必ずしも勲伐を須たず。太上は己無く、其の次は名無し。能く翼を振るいて以て群を絶ち、跡を騁せて以て軌を絶し、常人の能わざる所を為し、近才の割く能わざる所を割く。少多は凡俗の量る所と為らず、恬粋は名位の染むる所と為らず。淳風は以て百代の穢れを濯ぐに足り、高操は以て将来の濁りを激すに足る。何ぞ必ずしも朱を紆い紫を曳き、冕を服し軺に乗り、犠牛の文繡を被り、詹何の香餌を呑み、朝に張天の炎熱を為し、夕に冰冷の季灰と成らんや。
現代語訳
逸民は答えて言った。「あなたは小さな土の山を守り、狐の丘で遊んでいるだけで、まだ閬風の山に登って雲や虹に臨んだこともなく、浅い水辺で遊び、小さな水たまりに浮かんでいるだけで、まだ南の大海に浮かんで天の川を渡ったこともないというべきだ。志ある人とは、必ずしも俸禄や位にあるのではなく、必ずしも勲功や武功を待つ者でもない。最上の人は己がなく、その次は名がない。翼を振るって群れを抜き、足跡を走らせて通常の轍を絶ち、常人のできないことを行い、近視眼の才ではできないことを断ち切る。大小は凡俗の量るところとならず、静かで純粋なことは名や位に染まらない。淳朴な風は百代の穢れを洗い流し、高い操はこれから先の濁りを勢いよく払う。どうして朱の綬を結び紫の綬を引きずり、冠をつけ軒車に乗り、刺繡をかぶせた犠牲の牛となり、詹何が釣った香り高い餌を呑み、朝には天を焦がす炎のように熱を発し、夕には氷のように冷えた灰となる必要があるだろうか。
解説
この章句が説くこと
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