抱朴子外篇 / 嘉遁
「蓋祿厚者責重,爵尊者神勞。故漆園垂綸,而不顧卿相之貴;柏成操耜,而不屑諸侯之高。羊說安乎屠肆,楊朱吝其一毛。僥求之徒,昧乎可欲,集不擇木,仕不料世,貪進不慮負乘之禍,受任不計不堪之敗;論榮貴則引伊周以救溺,言亢悔則諱覆餗而不記;伺河龍之睡而撥明珠,居量表之寵而冀無患;耽漏刻之安,蔽必至之危;無朝菌之榮,望大椿之壽;似蹈薄冰以待夏日,登朽枝而須勁風;淵魚之引芳餌,澤雉之咽毒粒;咀漏脯以充饑,酣鴆酒以止渴也。
新字:「蓋禄厚者責重,爵尊者神労。故漆園垂綸,而不顧卿相之貴;柏成操耜,而不屑諸侯之高。羊説安乎屠肆,楊朱吝其一毛。僥求之徒,昧乎可欲,集不択木,仕不料世,貪進不慮負乗之禍,受任不計不堪之敗;論栄貴則引伊周以救溺,言亢悔則諱覆餗而不記;伺河竜之睡而撥明珠,居量表之寵而冀無患;耽漏刻之安,蔽必至之危;無朝菌之栄,望大椿之寿;似蹈薄冰以待夏日,登朽枝而須勁風;淵魚之引芳餌,沢雉之咽毒粒;咀漏脯以充饑,酣鴆酒以止渇也。
書き下し
「蓋し禄厚き者は責め重く、爵尊き者は神労す。故に漆園は綸を垂れて卿相の貴を顧みず、柏成は耜を操りて諸侯の高きを屑しとせず。羊説は屠肆に安んじ、楊朱は其の一毛を吝む。僥求の徒は、欲す可きに昧く、集まるに木を択ばず、仕うるに世を料らず、進むを貪りて負乗の禍いを慮らず、任を受けて不堪の敗れを計らず。栄貴を論ずれば則ち伊周を引きて以て溺るるを救うと言い、亢悔を言えば則ち覆餗を諱みて記さず。河龍の睡を伺いて明珠を撥り、量表の寵に居りて患い無きを冀う。漏刻の安きに耽りて、必至の危うきを蔽う。朝菌の栄無くして、大椿の寿を望む。薄氷を蹈みて夏日を待ち、朽枝に登りて勁風を須つに似たり。淵魚の芳餌を引き、沢雉の毒粒を咽むがごとし。漏脯を咀みて以て饑えを充たし、鴆酒に酣いて以て渇きを止むるなり。
現代語訳
「思うに、俸禄の厚い者は責任が重く、爵位の高い者は心が疲れる。だから漆園の荘周は糸を垂れて釣りをし、卿相の貴さを顧みず、柏成子高は鋤を手に取り、諸侯の高い地位を取るに足らぬとした。羊説は肉屋の店先に安んじ、楊朱はたった一本の毛さえ惜しんだ。ところが無理に栄達を求める連中は、欲しがるべきものに暗く、鳥が木を選ばずに止まるように主を選ばず、仕えるにも時世を量らず、進むことをむさぼって身に余る地位の禍いを考えず、任を受けて耐えられぬ失敗を計らない。栄えと貴さを論じるときは伊尹や周公を引いて溺れる世を救うと言い、行きすぎの悔いを言う段になれば、鼎をひっくり返す失敗を避けて口にしない。河の龍が眠る隙をうかがって宝珠を取り、分を超えた寵愛の座にいて災いがないことを願う。時計の刻みほどの安らぎに耽って、必ず来る危うさを覆い隠す。朝菌のような短い栄えしかないのに、大椿のような長寿を望む。薄氷を踏みながら夏の日を待ち、枯れ枝に登りながら強い風を待つようなものだ。淵の魚が香ばしい餌に食いつき、沢の雉が毒の粒を飲み込むのに等しい。毒の入った干し肉をかじって飢えをしのぎ、鴆の毒酒に酔って渇きを癒やすのだ」。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻三一日示して云く、宋土の海門禅師、天童の長老たりし時、会下に元首座と云僧ありき、この人は得法悟道の人にて、行持長老にも超たり、有時夜る方丈に参じて、焼香礼拝して云く、請すらくは某甲に後堂首座を許せと、時に禅師流涕して云く、我れ小僧たりし時より、未た此の如きの事を聞かず、汝坐禅僧として首座長老を所望すること大ひなる錯なり、なんぢ既に悟道せること我れにも越いたり、然あるに首座を望むこと是れ昇進の為か、許すことは前堂をも乃至長老をも許すべし、その心操卑劣なり、誠に是を以て余の未悟の僧は推察せられたり、仏法の衰微せること是を以て知ぬべしと云ふて、流涕悲泣す、
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史記 樊酈滕灌列伝舞陽侯樊噲は、沛の人なり。狗を屠るを以て事と為し、高祖と倶に隠る。初め高祖に従ひて豊に起ち、沛を攻め下す。高祖沛公と為り、噲を以て舎人と為す。従ひて胡陵・方与を攻め、還りて豊を守り、泗水の監を豊の下に撃ちて、之を破る。復た東して沛を定め、泗水の守を薛の西に破る。司馬夷と碭の東に戦ひ、敵を卻け、首を斬ること十五級、爵国大夫を賜はる。常に従ひ、沛公章邯の軍を濮陽に撃つに、城を攻めて先登し、首を斬ること二十三級、爵列大夫を賜はる。復た常に従ひ、従ひて城陽を攻め、先登す。戸牖を下し、李由の軍を破り、首を斬ること十六級、上間の爵を賜はる。従ひて東郡の守・尉を成武に攻め囲み、敵を卻け、首を斬ること十四級、虜を捕ふること十一人、爵五大夫を賜はる。従ひて秦軍を撃ち、亳の南に出づ。河間の守の軍を杠里に撃ちて、之を破る。趙賁の軍を開封の北に撃破し、敵を卻け先登せるを以て、候一人・首六十八級を斬り、虜を捕ふること二十七人、爵卿を賜はる。従ひて楊熊の軍を曲遇に攻め破る。宛陵を攻め、先登し、首を斬ること八級、虜を捕ふること四十四人、爵を賜はり賢成君と封号す。従ひて長社・轘轅を攻め、河津を絶ち、東して秦軍を尸に攻め、南して秦軍を犨に攻む。南陽の守齮を陽城に破る。東して宛城を攻め、先登す。西して酈に至り、敵を卻けたるを以て、首を斬ること二十四級、虜を捕ふること四十人、重ねて封を賜はる。武関を攻め、霸上に至り、都尉一人・首十級を斬り、虜を捕ふること百四十六人、卒を降すこと二千九百人。
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