秘本玉くしげ / 下 朝廷を畏れる
然るに朝廷は、今は天下の御政をきこしめすことなく、おのづから世間に遠くましますが故に、誰も心には尊き御事は存じながらも、事にふれて自然と敬畏のすぢなほざりなる事もなきにあらず。抑本朝の朝廷は、神代の初より殊なる御子細まします御事にて、異國の王の比類にあらず、下万民に至るまで格別にありがたき道理あり。此事別卷に委しく申せるが如し。されば一國一郡をも治め玉はん御方方は、殊さらに此子細を御心にしめて忘れ玉ふまじき御事也。これすなはち大將軍家への第一の御忠勤也。いかにと申すに、まづ大將軍と申奉るは、天下に朝廷をかろしめ奉る者を征伐せさせ玉ふ御職にましまして、是ぞ東照神御祖命の御成業の大義なれば也。さて又御武運長久、御領內上下安靜、五穀豐登の御祈禱にも、これに過たる御事あるべからず。その子細は、朝廷を畏れ尊み奉り玉ふは、天照大御神の大御心に叶ひ玉ふ御事にて、天神地祇の御加護厚かるべければ也。
新字:然るに朝廷は、今は天下の御政をきこしめすことなく、おのづから世間に遠くましますが故に、誰も心には尊き御事は存じながらも、事にふれて自然と敬畏のすぢなほざりなる事もなきにあらず。抑本朝の朝廷は、神代の初より殊なる御子細まします御事にて、異国の王の比類にあらず、下万民に至るまで格別にありがたき道理あり。此事別巻に委しく申せるが如し。されば一国一郡をも治め玉はん御方方は、殊さらに此子細を御心にしめて忘れ玉ふまじき御事也。これすなはち大将軍家への第一の御忠勤也。いかにと申すに、まづ大将軍と申奉るは、天下に朝廷をかろしめ奉る者を征伐せさせ玉ふ御職にましまして、是ぞ東照神御祖命の御成業の大義なれば也。さて又御武運長久、御領内上下安静、五穀豊登の御祈祷にも、これに過たる御事あるべからず。その子細は、朝廷を畏れ尊み奉り玉ふは、天照大御神の大御心に叶ひ玉ふ御事にて、天神地祇の御加護厚かるべければ也。
書き下し
然るに朝廷は、今は天下の御政をきこしめすことなく、おのづから世間に遠くましますが故に、誰も心には尊き御事は存じながらも、事にふれて自然と敬畏のすぢなほざりなる事もなきにあらず。抑本朝の朝廷は、神代の初より殊なる御子細まします御事にて、異国の王の比類にあらず、下万民に至るまで格別にありがたき道理あり。此事別巻に委しく申せるが如し。されば一国一郡をも治め玉はん御方々は、殊さらに此子細を御心にしめて忘れ玉ふまじき御事也。これすなはち大将軍家への第一の御忠勤也。いかにと申すに、まづ大将軍と申奉るは、天下に朝廷をかろしめ奉る者を征伐せさせ玉ふ御職にましまして、是ぞ東照神御祖命の御成業の大義なれば也。さて又御武運長久、御領内上下安静、五穀豊登の御祈祷にも、これに過たる御事あるべからず。その子細は、朝廷を畏れ尊み奉り玉ふは、天照大御神の大御心に叶ひ玉ふ御事にて、天神地祇の御加護厚かるべければ也。
現代語訳
それなのに朝廷は、今は天下の御政をお執りになることがなく、自然と世間から遠くおいでになるために、誰も心では尊い御事とは存じながらも、事に触れて自然と敬い畏れる筋がなおざりになる事もないではない。そもそも本朝の朝廷は、神代の初めから特別な御子細がおありになる御事で、異国の王の比類ではなく、下万民に至るまで格別にありがたい道理がある。この事は別巻(『玉くしげ』)に詳しく申した通りである。だから一国一郡をもお治めになる御方々は、ことさらにこの子細をお心に刻んでお忘れになってはならない御事である。これがすなわち大将軍家への第一の御忠勤である。なぜかと申すと、まず大将軍と申し上げるのは、天下に朝廷を軽んじ申し上げる者を征伐なさる御職であって、これこそ東照神御祖命(徳川家康)の御成業の大義であるからである。さてまた御武運長久、御領内上下の安静、五穀豊登の御祈祷にも、これに過ぎる御事はあるはずがない。その子細は、朝廷を畏れ尊み申し上げなさるのは、天照大御神の大御心にかなわれる御事で、天神地祇の御加護が厚いはずだからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 周本紀是に於て武王遍く諸侯に告げて曰く、「殷重罪有り、以て畢く伐たざる可からず」と。乃ち文王に遵ひ、遂に戎車三百乗、虎賁三千人、甲士四万五千人を率ゐて、以て東のかた紂を伐つ。十一年十二月戊午、師畢く盟津を渡り、諸侯咸会す。曰く、「孳孳として怠ること無かれ」と。武王乃ち太誓を作り、衆庶に告ぐ。「今殷王紂乃ち其の婦人の言を用ゐ、自ら天に絶ち、其の三正を毀壊し、其の王父母弟を離逖し、乃ち其の先祖の楽を断棄し、乃ち淫声を為り、用て正声を変乱し、婦人を怡説せしむ。故に今予発維れ共に天罰を行ふ。勉めよや夫子、再びす可からず、三たびす可からず」と。二月甲子の昧爽、武王朝に商の郊の牧野に至り、乃ち誓ふ。武王左に黄鉞を杖き、右に白旄を秉りて、以て麾く。曰く、「遠きかな西土の人」と。武王曰く、「嗟、我が有国の冢君、司徒・司馬・司空、亜旅・師氏、千夫長・百夫長、及び庸・蜀・羌・髳・微・纑・彭・濮の人、爾の戈を称げ、爾の干を比べ、爾の矛を立てよ。予其れ誓はん」と。王曰く、「古人言へる有り、『牝雞は晨する無し。牝雞の晨するは、惟れ家の索くるなり』と。今殷王紂は維れ婦人の言を是れ用ゐ、自ら其の先祖の肆祀を棄てて答へず、昏くして其の家国を棄て、其の王父母弟を遺てて用ゐず、乃ち維れ四方の多罪の逋逃を、是れ崇び是れ長とし、是れ信じ是れ使ひ、百姓に暴虐し、以て商国に姦軌せしむ。今予発維れ共に天の罰を行ふ。今日の事は、六歩七歩を過ぎずして、乃ち止まりて斉へよ。夫子勉めよや。四伐五伐六伐七伐を過ぎずして、乃ち止まりて斉へよ。勉めよや夫子。尚はくは桓桓として、虎の如く羆の如く、豺の如く離の如く、商の郊に于いて、奔るを御ぐことなく、以て西土に役せしめよ。勉めよや夫子。爾勉めざる所あらば、其れ爾の身に于いて戮有らん」と。
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『驢鞍橋』卷上壬辰霜月十一日の晩、去る寺に到る次で、大衆に対して曰く、当寺の大衆一様に志出来、目出度事也。次第に大事も起るべし。兎角此中から起るべし。是れ仏法繁昌の基也。則ち示曰、仏法の至極したる処を大義と云ふ也。義無くして修行成るべからす。今人間に生を得、殊に仏弟子と為りながら、餓鬼畜生の心にて居る事無念なりと思ひ定め、血の涙を流し、跳り上つて仏意を修せで不叶と、自ら眼をすゑ拳を握り、咦と牙を咬み給ふ。
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史記 楚世家九年、若敖氏に相たり。人或いは之を王に讒す。誅せられんことを恐れ、反って王を攻む。王撃ちて若敖氏の族を滅ぼす。十三年、舒を滅ぼす。十六年、陳を伐ち、夏徴舒を殺す。徴舒其の君を弑す。故に之を誅するなり。已に陳を破り、即ち之を県とす。群臣皆賀す。申叔時斉に使ひして来たり、賀せず。王問ふ。対へて曰く、「鄙語に曰く、牛を牽きて人の田を徑(わた)れば、田主其の牛を取る、と。徑る者は則ち直からず。之が牛を取るは亦た甚だしからずや。且つ王陳の乱を以て諸侯を率ゐて之を伐つ。義を以て之を伐ちて其の県を貪る。亦た何を以て復た天下に令せん」と。荘王乃ち陳の後を復国す。十七年春、楚の荘王鄭を囲み、三月にして之に克つ。皇門より入る。鄭伯肉袒し羊を牽きて以て逆へて曰く、「孤天ならず、君に事ふること能はず。君用て怒りを懐き、以て敝邑に及ぶ。孤の罪なり。敢て惟だ命を是れ聴かざらんや。之を南海に賓(しりぞ)くるも、若しくは臣妾を以て諸侯に賜ふも、亦た惟だ命を是れ聴かん。若し君厲・宣・桓・武を忘れず、其の社稷を絶たず、改めて君に事へしめば、孤の願ひなり。敢て望む所に非ざるなり。敢て腹心を布く」と。楚の群臣曰く、「王許すこと勿かれ」と。荘王曰く、「其の君能く人に下る。必ず能く其の民を信用せん。庸ぞ絶つべけんや」と。荘王自ら旗を手にし、左右に軍を麾(さしまね)き、兵を引きて去ること三十里にして舎り、遂に之に平らぐことを許す。潘尪入りて盟ひ、子良出でて質たり。夏六月、晋鄭を救ひ、楚と戦ふ。大いに晋の師を河上に敗り、遂に衡雍に至りて帰る。二十年、宋を囲む。楚の使ひを殺せしを以てなり。宋を囲むこと五月、城中食尽き、子を易へて食らひ、骨を析きて炊ぐ。宋の華元出でて告ぐるに情を以てす。荘王曰く、「君子なるかな」と。遂に兵を罷めて去る。二十三年、荘王卒し、子の共王審立つ。共王の十六年、晋鄭を伐つ。鄭急を告ぐ。共王鄭を救ふ。晋の兵と鄢陵に戦ふ。晋楚を敗り、共王の目に射中つ。共王将軍子反を召す。
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尉繚子・武議凡そ兵は過ち無きの城を攻めず、罪無きの人を殺さず。
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史記 魏公子列伝公子行く、侯生曰く、「将は外に在りては、主の令も受けざる所有り、以て国家に便ならしむ。公子即ち符を合はするも、晋鄙公子に兵を授けずしてまたこれを請はば、事必ず危ふし。臣の客の屠者朱亥、与に倶にすべし、此の人は力士なり。晋鄙聴かば、大いに善し。聴かずんば、これを撃たしむべし」と。是に於いて公子泣く。侯生曰く、「公子死を畏るるか、何ぞ泣くや」と。公子曰く、「晋鄙は嚄唶の宿将なり、往くも恐らくは聴かず、必ず当にこれを殺すべし、是を以て泣くのみ。豈に死を畏れんや」と。是に於いて公子朱亥に請ふ。朱亥笑ひて曰く、「臣は乃ち市井に刀を鼓する屠者なり、而るに公子親ら数々これを存す。報謝せざる所以の者は、以為へらく小礼は用ふる所無しと。今公子急有り、此れ乃ち臣の命を效すの秋なり」と。遂に公子と倶にす。公子過りて侯生に謝す。侯生曰く、「臣宜しく従ふべきも、老いて能はず。請ふ公子の行く日を数へ、以て晋鄙の軍に至るの日、北郷して自剄し、以て公子を送らん」と。公子遂に行く。鄴に至り、魏王の令を矯めて晋鄙に代はらんとす。晋鄙符を合はせ、これを疑ひ、手を挙げて公子を視て曰く、「今、吾十万の衆を擁し、境上に屯す、国の重任なり。今単車にて来たりてこれに代はる、何如ぞや」と。聴くこと無からんと欲す。朱亥、四十斤の鉄椎を袖にし、晋鄙を椎殺す。公子遂に晋鄙の軍に将たり。兵を勒して令を軍中に下して曰く、「父子倶に軍中に在らば、父は帰れ。兄弟倶に軍中に在らば、兄は帰れ。独子にして兄弟無きは、帰りて養へ」と。選兵八万人を得、兵を進めて秦の軍を撃つ。秦の軍解きて去り、遂に邯鄲を救ひ、趙を存す。趙王及び平原君自ら公子を界に迎へ、平原君は籣矢を負ひて公子の為に先引す。趙王再拝して曰く、「古より賢人未だ公子に及ぶ者有らざるなり」と。此の時に当たりて、平原君敢へて自ら人に比せず。公子、侯生と決す、軍に至る、侯生果たして北郷して自剄す。
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史記 殷本紀是の時に当たり、夏桀虐政淫荒を為し、而して諸侯昆吾氏乱を為す。湯乃ち師を興して諸侯を率ゐ、伊尹湯に従ふ。湯自ら鉞を把りて以て昆吾を伐ち、遂に桀を伐つ。湯曰く、「格れ女衆庶、来たれ、女悉く朕が言を聴け。台小子の、敢へて行ひて乱を挙ぐるに匪ず。有夏罪多し。予維れ女衆の言を聞くに、夏氏罪有り。予上帝を畏れ、敢へて正さずんばあらず。今夏罪多く、天命じて之を殛す。今女衆有り、女曰く、『我が君我が衆を恤れまず、我が嗇事を舍てて政を割く』と。女其れ曰く、『罪有り、其れ柰何』と。夏王率ゐて衆の力を止め、率ゐて夏国を奪ふ。衆有りて率ゐて怠り和せず、曰く、『是の日何の時にか喪びん。予女と皆亡びん』と。夏の徳茲の若し、今朕必ず往かん。爾尚はくは予一人に及びて天の罰を致せ。予其れ大いに女に理せん。女信ぜざること毋かれ、朕食言せず。女誓言に従はずんば、予則ち帑僇し、攸赦すこと有る無からん」と。以て師に告令し、湯誓を作る。是に於て湯曰く、「吾甚だ武なり」と。号して武王と曰ふ。桀有娀の虚に敗れ、桀鳴条に犇り、夏の師敗績す。湯遂に三㚇を伐ち、厥の宝玉を俘にす。義伯・仲伯典宝を作る。湯既に夏に勝ち、其の社を遷さんと欲するも、可ならず、夏社を作る。伊尹報ず。是に於て諸侯畢く服し、湯乃ち天子の位を践み、海内を平定す。湯帰りて泰卷陶に至り、中𤳹誥を作る。既に夏の命を絀け、亳に還り、湯誥を作る。「維れ三月、王自ら東郊に至る。諸侯羣后に告ぐ、『民に功有らずんばあらず、力を勤めて迺ち事とせよ。予乃ち大いに罰して女を殛せん、予を怨む毋かれ』と。曰く、『古禹・皋陶久しく外に労し、其の民に功有り、民乃ち安んずる有り。東を江と為し、北を済と為し、西を河と為し、南を淮と為し、四瀆已に修まり、万民乃ち居る有り。后稷降りて播き、農百穀を殖やす。三公咸民に功有り、故に后立つ有り。昔蚩尤其の大夫と乱を百姓に作す。帝乃ち予さず、状有り。
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