秘本玉くしげ / 上 本書の組み立て
さて右の如くなれば、その大本の趣をまづ開卷のはじめに申すべき事なれども、世に書籍をも見るほどの人の料簡は、漢によるとなけれどおのづからみな漢樣の料簡なるものにて、其漢樣の料簡の外なることは耳に入がたきものなれば、始めにその大本のわけを先づ申しては、甚迂遠に聞え、國政に無益なるいたづら事の如く聞ゆべければ、看む人たちまちに卷をすてゝ末をも見玉ふまじきことをおそるるが故に、これをばしばらく末へまはし、別卷として、本書には手近き事共をのみ申す也。その別卷は先年述作せるところなるを、此度相添へ侍る也。さて國政は甚事廣く多端なるものにて、一一はたやすく申しつくしがたければ、此書はただ當時さしあたりたる事共をこれかれ拔出て、いささか愚意を申すのみ也。さて此書は、その末末の手近き事に至るまでも根本の意を土臺として、是に背かざるやうを詮とすれば、事によりては猶まはり遠く無益の事に聞ゆる所も多かるべし。
新字:さて右の如くなれば、その大本の趣をまづ開巻のはじめに申すべき事なれども、世に書籍をも見るほどの人の料簡は、漢によるとなけれどおのづからみな漢様の料簡なるものにて、其漢様の料簡の外なることは耳に入がたきものなれば、始めにその大本のわけを先づ申しては、甚迂遠に聞え、国政に無益なるいたづら事の如く聞ゆべければ、看む人たちまちに巻をすてゝ末をも見玉ふまじきことをおそるるが故に、これをばしばらく末へまはし、別巻として、本書には手近き事共をのみ申す也。その別巻は先年述作せるところなるを、此度相添へ侍る也。さて国政は甚事広く多端なるものにて、一一はたやすく申しつくしがたければ、此書はただ当時さしあたりたる事共をこれかれ抜出て、いささか愚意を申すのみ也。さて此書は、その末末の手近き事に至るまでも根本の意を土台として、是に背かざるやうを詮とすれば、事によりては猶まはり遠く無益の事に聞ゆる所も多かるべし。
書き下し
さて右の如くなれば、その大本の趣をまづ開巻のはじめに申すべき事なれども、世に書籍をも見るほどの人の料簡は、漢によるとなけれどおのづからみな漢様の料簡なるものにて、其漢様の料簡の外なることは耳に入がたきものなれば、始めにその大本のわけを先づ申しては、甚迂遠に聞え、国政に無益なるいたづら事の如く聞ゆべければ、看む人たちまちに巻をすてゝ末をも見玉ふまじきことをおそるるが故に、これをばしばらく末へまはし、別巻として、本書には手近き事共をのみ申す也。その別巻は先年述作せるところなるを、此度相添へ侍る也。さて国政は甚事広く多端なるものにて、一一はたやすく申しつくしがたければ、此書はただ当時さしあたりたる事共をこれかれ抜出て、いささか愚意を申すのみ也。さて此書は、その末末の手近き事に至るまでも根本の意を土台として、是に背かざるやうを詮とすれば、事によりては猶まはり遠く無益の事に聞ゆる所も多かるべし。
現代語訳
さて右のようであるから、その大本の趣旨をまず巻の初めに申し上げるべきことであるが、世に書籍をも読むほどの人の考えは、漢に依ろうとするわけではないが自然とみな漢様の考えであるもので、その漢様の考えの外にあることは耳に入りにくいものなので、初めにその大本のわけをまず申し上げては、たいへん回りくどく聞こえ、国政に無益な無駄事のように聞こえるに違いないから、読む人がたちまち巻を捨てて、後の方も御覧にならないであろうことを恐れるために、これをしばらく後へ回し、別巻として、本書には手近な事ばかりを申し上げるのである。その別巻は先年に書いたものであるのを、このたび添えて差し上げる。さて国政はたいへん事が広く多端なもので、一つ一つはたやすく申し尽くしにくいので、この書はただ当面さしあたっている事どもをあれこれ抜き出して、いささか愚見を申し上げるだけである。さてこの書は、その末々の手近な事に至るまでも根本の意を土台として、これに背かないようにすることを眼目とするので、事によってはなお回りくどく無益な事に聞こえるところも多いだろう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『秘本玉くしげ』上 献言の志秘本玉くしげ上。秘本玉くしげ上。本居宣長著。身におはぬしづがしわざも玉匣あけてだにみよ中のこゝろを。我ら如き下賤の者の、御国政のすぢなどをかりそめにもとやかく申奉むことは、いともいともおほけなく恐れ多き御事なれども、とにかくに御武運長久、御領内上下安静ならむことを、恐れながら明くれ祈り奉る心から、とあらばや、かくあらばやと思ふ事どものおほきところに、吾君御仁徳深くましまして、此度ありがたき思召共仰出され、「猶又勘弁の事もこれあらば、隔意なく申出べし」との仰事を承はるに付ては、いよいよつねづね祈り奉る心の内のかたはしをも申し顕さまほしくて、下賤の身分をわすれ、恐れをもかへりみず、当時うけ給はり及ぶ他国の様子共をかれこれ引出て、存心のほどをつくろはずかざらず、此一書に申述侍る也。然れども、猶恐れあるべき事とならば、御覧に備へられんことは、ともかくも取伝へ玉はん人の心にまかせ奉る也。
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『秘本玉くしげ』上 通俗の平話且又、高貴の御方へ御覧にも備ふべき書は、其詞を口上に申上候趣にも書べきなれ共、左様にては却て恐れもあるべきまま、ただ同輩どちの物語の心持の詞を以て書つづり、惣体の文もかざることなく、ただ通俗の平話を以て申す也。
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『秘本玉くしげ』上 旧きに依るすべての事、ただ時世のもやうにそむかず、先規の有来りたるかたを守りてこれを治むれば、たとひ少少の弊は有ても大なる失はなきもの也。何事も久しく馴来りたる事は、少少あしき所ありても世人の安んずるもの也。新に始むる事は、よき所有てもまづは人の安んぜざるものなれば、なるべきだけは旧によりて改めざるが国政の肝要也。これ即まことの道にかなへる子細あり。
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『秘本玉くしげ』上 聖人の道の根本そのわけは別巻に委くいへるが如し。さて又、唐土の治めかたにては、此方にてはいよいよ道にかなひがたきわけあり。かやうにいはば、儒者の心には却てをかしく思ひて、「天地は一枚にて、人情はいづくもいづくも同じければ、唐土日本とて道に二つはなく、治めかたの根本にかはりはなき事也。殊に唐土は聖人の国なれば、其道をおきて外に身を治め国を治むべき道はあることなし。聖人の道をおきて外に道をいふものはみな異端にして正道にあらず」と儒者はいふべし。然れども是は一通り誰も皆いふ事にてめづらしからず。なほそのうへを今一段高く考へて、かの聖人の道はなほ根本の所にたがひ有て、まことの道にかなはざるところある事を探り求むべき也。うはべの議論の美しきに惑ひて、彼道になづむべきにあらず。殊に本朝は異国とは格別のしなあれば、別して国政を行ふに、道の根本をしらずばあるべからず。これらのわけも委しく別巻にあり。
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『秘本玉くしげ』下 根本の心がけこれらの子細は、通例の学者、又神道者なども夢にもしらざる事にて、世間共に大に料簡違ある事也。惣じて世間の人のよき料簡と思ふは、みな唐流の理屈なる故に、其中にはまことの道理にかなはざる事も多し。領主たる御方並に役人中なども、国のためを思ひて、災害おこらず凶事無く、上下共に安全に栄えて長久ならんことを願ひ玉はば、これらの根本の所の心がけ大切なるべき御事にこそ。
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『秘本玉くしげ』上 料簡の四段凡て天下を治め、一国一郡を治むる政道、大小のことにつきて其善悪利害の料簡を立るに、まづ学問せざる人の料簡は、多くはただ今日眼前の手近き事のうへばかりにつきて工夫をめぐらして、根本の所には心のつがぬ事おほし。たとひ又其本の所へ心はつきても、その工夫の至らざること多し。殊に近来の世の風儀は、ただ眼前の損得の事のみを計りて、根本の所を思ひていふ料簡をば、今日の用にたたず、まはり遠き事にしてとりあはぬならひとなれる。これ大なるひがこと也。今日眼前の利益を思はば、まづ其根本より正さずばあるべからず。本を正さずしては、いかやうに工夫をめぐらしてよき料簡を立るといへ共、諺にいはゆる飯上の蠅をおふといふものにて、末とぐることなく皆いたづら事となり、或はついに大害を引出ることもあるもの也。然れば、さしあたりてはまはりどほく迂遠なるやうなりとも、とにかくに根本の所に眼をつけて諸事の料簡を立べき也。
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