秘本玉くしげ / 上 通俗の平話
且又、高貴の御方へ御覽にも備ふべき書は、其詞を口上に申上候趣にも書べきなれ共、左樣にては却て恐れもあるべきまま、ただ同輩どちの物語の心持の詞を以て書つづり、惣体の文もかざることなく、ただ通俗の平話を以て申す也。
新字:且又、高貴の御方へ御覧にも備ふべき書は、其詞を口上に申上候趣にも書べきなれ共、左様にては却て恐れもあるべきまま、ただ同輩どちの物語の心持の詞を以て書つづり、惣体の文もかざることなく、ただ通俗の平話を以て申す也。
書き下し
且又、高貴の御方へ御覧にも備ふべき書は、其詞を口上に申上候趣にも書べきなれ共、左様にては却て恐れもあるべきまま、ただ同輩どちの物語の心持の詞を以て書つづり、惣体の文もかざることなく、ただ通俗の平話を以て申す也。
現代語訳
それにまた、高貴の御方の御覧に入れるべき書は、その言葉を口上で申し上げるような書き方にすべきなのだが、そうしてはかえって恐れ多くもあるので、ただ同輩どうしが語り合うような気持ちの言葉で書きつづり、全体の文も飾ることなく、ただ通俗の平易な話し言葉で申し上げるのである。
解説
献辞の末尾に置かれた、文体の宣言である。紀州藩主に献じる建言書なのだから、本来は口上のうやうやしい書き方をすべきところだ。それをあえてやめる、と宣長は断る。理由が面白い。「左樣にては却て恐れもあるべきまま」——かしこまった書き方をするほうが、かえって恐れ多い。敬意を尽くした文体は、読む側に届かないという判断が背後にある。代わりに選んだのが「同輩どちの物語の心持の詞」——仲間どうしの会話の調子である。実際この書は、当時の政治建言としては異例なほど平易な口語で書かれている。伝えたい相手に届く形を、格式より優先する。上に何かを届けようとするとき、形式を整えることと伝わることは別だという判断が、書き出しに置かれている。
この章句が説くこと
通俗の平話飾らず献言の文体伝わる形