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秘本玉くしげ / 上 漢学に惑うな

但し根本の所こそ違ひたれ、唐土の道もさばかりの聖人の智慧を以て建立したるものなれば、末末の今日の行ひの筋などには取用ふべき事おほし。本朝とても中古以來はおほく漢樣の政にて、風俗人心もなべて漢樣に成ぬる世中なれば、今は末末の事には、かの國の道をもまじへ行はではかなはぬやうなることもある也。されば國君たる人は申すに及ばず、その政を執行ふ人人も、隨分に漢學をもして、其道の宜しき所をば事によりて取用ひもすべく、又かの國の代代の治め方の實にはよろしからざることをも考へしり、其根本の所に至ては大に違ひ有といふことをよく辨へ悟りて、ゆめゆめかの道にかたより惑ふべからず。かへすがへすも此根本の所ぞ大切なる。大かた世人すべて漢學をする者は、必かの道にかたより惑ひて他ある事をしらず、此根本の違ひをえさとらざる故に、却て國政をもあやまること多き也。此ところをだによく辨へ悟り、心にしめて動かざれば、いかほど漢籍を看て朝夕これに馴居ても害はなかるべし。

新字:但し根本の所こそ違ひたれ、唐土の道もさばかりの聖人の智慧を以て建立したるものなれば、末末の今日の行ひの筋などには取用ふべき事おほし。本朝とても中古以来はおほく漢様の政にて、風俗人心もなべて漢様に成ぬる世中なれば、今は末末の事には、かの国の道をもまじへ行はではかなはぬやうなることもある也。されば国君たる人は申すに及ばず、その政を執行ふ人人も、随分に漢学をもして、其道の宜しき所をば事によりて取用ひもすべく、又かの国の代代の治め方の実にはよろしからざることをも考へしり、其根本の所に至ては大に違ひ有といふことをよく弁へ悟りて、ゆめゆめかの道にかたより惑ふべからず。かへすがへすも此根本の所ぞ大切なる。大かた世人すべて漢学をする者は、必かの道にかたより惑ひて他ある事をしらず、此根本の違ひをえさとらざる故に、却て国政をもあやまること多き也。此ところをだによく弁へ悟り、心にしめて動かざれば、いかほど漢籍を看て朝夕これに馴居ても害はなかるべし。

書き下し

但し根本の所こそ違ひたれ、唐土の道もさばかりの聖人の智慧を以て建立したるものなれば、末末の今日の行ひの筋などには取用ふべき事おほし。本朝とても中古以来はおほく漢様の政にて、風俗人心もなべて漢様に成ぬる世中なれば、今は末末の事には、かの国の道をもまじへ行はではかなはぬやうなることもある也。されば国君たる人は申すに及ばず、その政を執行ふ人人も、随分に漢学をもして、其道の宜しき所をば事によりて取用ひもすべく、又かの国の代代の治め方の実にはよろしからざることをも考へしり、其根本の所に至ては大に違ひ有といふことをよく弁へ悟りて、ゆめゆめかの道にかたより惑ふべからず。かへすがへすも此根本の所ぞ大切なる。大かた世人すべて漢学をする者は、必かの道にかたより惑ひて他ある事をしらず、此根本の違ひをえさとらざる故に、却て国政をもあやまること多き也。此ところをだによく弁へ悟り、心にしめて動かざれば、いかほど漢籍を看て朝夕これに馴居ても害はなかるべし。

現代語訳

ただし、根本のところこそ違っているが、唐土の道もあれほどの聖人の知恵によって建てたものなので、末々の今日の行いの筋などには取り用いるべきことが多い。本朝でも中古以来は多く漢様(中国風)の政治で、風俗も人心もおしなべて漢様になった世の中なので、今は末々の事には、あの国の道をも交えて行わなくては済まないようなこともある。だから国君たる人は申すに及ばず、その政治を執り行う人々も、十分に漢学をもして、その道のよいところは事によって取り用いもし、またあの国の代々の治め方が実際にはよくないことをも考え知り、その根本のところに至っては大きな違いがあるということをよくわきまえ悟って、決してあの道に偏り惑ってはならない。くれぐれもこの根本のところが大切である。おおかた世の人で漢学をする者はみな、必ずあの道に偏り惑って、ほかに道があることを知らず、この根本の違いを悟ることができないので、かえって国政をも誤ることが多いのである。このところさえよくわきまえ悟り、心に染みて動かなければ、どれほど漢籍を読み朝夕これに馴れ親しんでいても害はないはずである。

解説

儒学批判一辺倒ではない、宣長の現実的な一面が見える段である。聖人の道も根本こそ違えど、聖人の知恵で作られたものだから、日々の実務には取り入れるべき点が多いと認める。日本も中古以来は中国風の政治と風俗になっているので、末々のことには漢の道を交えなければ済まない。だから藩主も役人も漢学を大いに学べと勧める。ただし条件がある。中国の代々の統治が実際にはうまくいかなかったことを知り、根本が違うことを悟って、偏り惑わないことである。それさえ心に据えれば、朝夕漢籍を読んでも害はないという。外来の理論を学ぶこと自体ではなく、それに呑まれることが危ういのである。流行の経営手法を取り入れるとき、何を動かさない土台とするかを決めているだろうか。

この章句が説くこと

漢学根本国君漢籍偏り

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