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秘本玉くしげ / 上 料簡の四段

凡て天下を治め、一國一郡を治むる政道、大小のことにつきて其善惡利害の料簡を立るに、まづ學問せざる人の料簡は、多くはただ今日眼前の手近き事のうへばかりにつきて工夫をめぐらして、根本の所には心のつがぬ事おほし。たとひ又其本の所へ心はつきても、その工夫の至らざること多し。殊に近來の世の風儀は、ただ眼前の損得の事のみを計りて、根本の所を思ひていふ料簡をば、今日の用にたたず、まはり遠き事にしてとりあはぬならひとなれる。これ大なるひがこと也。今日眼前の利益を思はば、まづ其根本より正さずばあるべからず。本を正さずしては、いかやうに工夫をめぐらしてよき料簡を立るといへ共、諺にいはゆる飯上の蠅をおふといふものにて、末とぐることなく皆いたづら事となり、或はついに大害を引出ることもあるもの也。然れば、さしあたりてはまはりどほく迂遠なるやうなりとも、とにかくに根本の所に眼をつけて諸事の料簡を立べき也。

新字:凡て天下を治め、一国一郡を治むる政道、大小のことにつきて其善悪利害の料簡を立るに、まづ学問せざる人の料簡は、多くはただ今日眼前の手近き事のうへばかりにつきて工夫をめぐらして、根本の所には心のつがぬ事おほし。たとひ又其本の所へ心はつきても、その工夫の至らざること多し。殊に近来の世の風儀は、ただ眼前の損得の事のみを計りて、根本の所を思ひていふ料簡をば、今日の用にたたず、まはり遠き事にしてとりあはぬならひとなれる。これ大なるひがこと也。今日眼前の利益を思はば、まづ其根本より正さずばあるべからず。本を正さずしては、いかやうに工夫をめぐらしてよき料簡を立るといへ共、諺にいはゆる飯上の蠅をおふといふものにて、末とぐることなく皆いたづら事となり、或はついに大害を引出ることもあるもの也。然れば、さしあたりてはまはりどほく迂遠なるやうなりとも、とにかくに根本の所に眼をつけて諸事の料簡を立べき也。

書き下し

凡て天下を治め、一国一郡を治むる政道、大小のことにつきて其善悪利害の料簡を立るに、まづ学問せざる人の料簡は、多くはただ今日眼前の手近き事のうへばかりにつきて工夫をめぐらして、根本の所には心のつがぬ事おほし。たとひ又其本の所へ心はつきても、その工夫の至らざること多し。殊に近来の世の風儀は、ただ眼前の損得の事のみを計りて、根本の所を思ひていふ料簡をば、今日の用にたたず、まはり遠き事にしてとりあはぬならひとなれる。これ大なるひがこと也。今日眼前の利益を思はば、まづ其根本より正さずばあるべからず。本を正さずしては、いかやうに工夫をめぐらしてよき料簡を立るといへ共、諺にいはゆる飯上の蠅をおふといふものにて、末とぐることなく皆いたづら事となり、或はついに大害を引出ることもあるもの也。然れば、さしあたりてはまはりどほく迂遠なるやうなりとも、とにかくに根本の所に眼をつけて諸事の料簡を立べき也。

現代語訳

すべて天下を治め、一国一郡を治める政治のやり方について、大小のことにつき、その善悪と利害の判断を立てるとき、まず学問をしない人の判断は、多くはただ今日目の前の手近なことについてだけ工夫をめぐらして、根本のところには考えが及ばないことが多い。たとえ根本のところへ考えが及んでも、その工夫が行き届かないことが多い。とりわけ近ごろの世の風潮は、ただ目の前の損得だけを計算して、根本を思って言う意見を、今日の役に立たない、回りくどいことだとして相手にしない習わしになっている。これは大きな間違いである。今日目の前の利益を思うなら、まずその根本から正さなければならない。根本を正さずには、どのように工夫をめぐらしてよい案を立てても、ことわざにいう「飯の上の蠅を追う」というもので、最後まで通ることなくすべて無駄になり、あるいはついに大きな害を引き出すこともある。であるから、さしあたっては回りくどく迂遠に見えたとしても、とにかく根本のところに目をつけて、諸事の判断を立てるべきである。

解説

本書の冒頭であり、宣長が政治論を始める最初の一手である。「飯上の蠅をおふ」——飯にたかる蠅は、追っても追ってもまた来る。飯を片づけないかぎり終わらない。目の前の対処だけを繰り返す仕事のありようを、これ以上ないほど身近な比喩で言い当てている。そして急所は次の一文にある。「今日眼前の利益を思はば、まづ其根本より正さずばあるべからず」。根本を正すのは、理想を追うためではない。目の前の利益のためにこそ根本が要る、と言っている。根本論を「まはり遠き事にしてとりあはぬ」風潮を、宣長は「大なるひがこと」と断ずる。急いでいるときほど根本を見よ、という主張が、実利の側から組み立てられている。

この章句が説くこと

飯上の蠅を追う根本より正す眼前の損得対処と原因根本

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