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秘本玉くしげ / 上 迂遠を侮るな

然れ共、万の事まことの道理にそむきては、いかほど尤に聞ゆるとも、これを行ひ見る時にその思ひし如くには行れぬものにて、かへりて傷害ある事もあり。又當分は利益あるやうにても、必末とほりがたきもの也。又根本の道理によりておこなふときは、まはり遠き如く却て思ひの外に速に其驗ありてよく行はるゝ事も有、或は當分はそのしるしみえざれども、つひにその驗あらはれて永久に行はれ、或は目に見えてはしるしなきやうにても、目に見えぬ所に大なる益ある事などもあるなり。されば、打聞たるところ迂遠なればとてこれを取らざるは、かしこきやうなれ共、却て愚なること也。かへすがへすも道の大本の所を土臺として、末末の細事までもこれに背かざるやうを詮として、何事をもとり行ふべきことなり。

新字:然れ共、万の事まことの道理にそむきては、いかほど尤に聞ゆるとも、これを行ひ見る時にその思ひし如くには行れぬものにて、かへりて傷害ある事もあり。又当分は利益あるやうにても、必末とほりがたきもの也。又根本の道理によりておこなふときは、まはり遠き如く却て思ひの外に速に其験ありてよく行はるゝ事も有、或は当分はそのしるしみえざれども、つひにその験あらはれて永久に行はれ、或は目に見えてはしるしなきやうにても、目に見えぬ所に大なる益ある事などもあるなり。されば、打聞たるところ迂遠なればとてこれを取らざるは、かしこきやうなれ共、却て愚なること也。かへすがへすも道の大本の所を土台として、末末の細事までもこれに背かざるやうを詮として、何事をもとり行ふべきことなり。

書き下し

然れ共、万の事まことの道理にそむきては、いかほど尤に聞ゆるとも、これを行ひ見る時にその思ひし如くには行れぬものにて、かへりて傷害ある事もあり。又当分は利益あるやうにても、必末とほりがたきもの也。又根本の道理によりておこなふときは、まはり遠き如く却て思ひの外に速に其験ありてよく行はるゝ事も有、或は当分はそのしるしみえざれども、つひにその験あらはれて永久に行はれ、或は目に見えてはしるしなきやうにても、目に見えぬ所に大なる益ある事などもあるなり。されば、打聞たるところ迂遠なればとてこれを取らざるは、かしこきやうなれ共、却て愚なること也。かへすがへすも道の大本の所を土台として、末末の細事までもこれに背かざるやうを詮として、何事をもとり行ふべきことなり。

現代語訳

けれども、万事はまことの道理に背いては、どれほどもっともに聞こえても、これを行ってみるとその思ったようには行われないもので、かえって損害があることもある。また当座は利益があるようでも、必ず末までは通りにくいものである。また根本の道理によって行うときは、回りくどいようでかえって思いのほか速やかにその効き目があってよく行われることもあり、あるいは当座はその効き目が見えなくても、ついにはその効き目が現れて永久に行われ、あるいは目に見えては効き目がないようでも、目に見えないところに大きな益があることなどもある。だから、聞いたところ回りくどいからといってこれを取らないのは、賢いようであるが、かえって愚かなことである。くれぐれも道の大本のところを土台として、末々の細事までもこれに背かないようにすることを眼目として、何事をも執り行うべきである。

解説

前段の予告を受けて、根本に拠る政道の効き目を説く。道理に背いたやり方は、どれほどもっともらしくても実地では思うように行われず、害を生むことさえある。当座は利益があっても長続きしない。反対に根本の道理に拠るやり方は、迂遠に見えて思いのほか早く効くこともあり、すぐには効き目が見えなくても最後には表れて長く続き、目に見えないところで大きな益をもたらすこともある。だから迂遠だからといって退けるのは、賢そうで実は愚かだと宣長は断じる。短期の数字だけで施策を評価しがちな組織への戒めとして、そのまま読める。目に見える成果がすぐ出ないという理由だけで、根本に効く取り組みを打ち切ってはいないだろうか。

この章句が説くこと

道理迂遠根本長久効き目

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